グッドナイト&グッドラック
監督:ジョージ・クルーニー
出演:デヴィッド・ストラザーン/ジョージ・クルーニー/ロバート・ダウニー・Jr/パトリシア・クラークソン/ジェフ・ダニエルズ/レイ・ワイズ/アレックス・ボースタイン/テイト・ドノヴァン/リード・ダイアモンド/マット・ロス/トム・マッカーシー/グラント・ヘスロヴ/ロバート・ジョン・バーク/グレン・モーシャワー/フランク・ランジェラ
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸3/技4
【TVは何を、どう伝えるのか?】
1950年代、マッカーシー上院議員の指揮で進められる共産主義者への弾圧、いわゆる“赤狩り”の嵐が吹き荒れるアメリカ。マスコミも弾圧を恐れて口を閉ざしていたが、CBSの看板ニュース番組『See it Now』のアンカーマンであるエド・マローやディレクターのフレッド・フレンドリーらは議員の強引な手法に疑問を抱き、「家族が共産党の集会に参加したという確証のない密告だけで退役を勧告された中尉」について報道する。
(2005年 アメリカ)
【映画で語られるテレビ論】
本作の宣伝は「自由を取り戻すための勇気ある戦い」みたいな感じになっているようだが、言論の自由やジャーナリズムについての映画ではなく、むしろ“テレビ論”といえる内容だ。
たとえば職員たちは、あろうことかタバコ(火気)をくわえながら大切なフィルムを扱う。軽んじられる素材。
マローにいたってはタバコを吸いながらキャスターを務めるのだが、それは生CMにほかならない。レコードを売るための放送、という側面も示唆されて、テレビは「消費を促すもの」と位置づけられる。
あるいは「反論の機会は用意する」と、いかにも自分たちが正義であり、議論のイニシアティヴを握っていると宣言するかのような、上から目線のマローの物言い。ただしそこでは、なぜ共産主義を敵視しなければならないのかという“そもそも論”や思想の自由などは無視され、不確かな情報で人を判断すること=権力側の強引な手法への批判に軸足が置かれる。
自分たちは社内結婚禁止などという理不尽なルールに縛られ従っているというのに。
新聞記事の後追いで番組を作っているというのに。
そして最後には「真実がなければテレビはただの箱」と喝破する。それほど意義のある仕事をやっているようには思えないのだが……。
要は、テレビを娯楽と捉える人にも、テレビの役割や可能性を過大評価する人にも、もういちどテレビの機能・本質・将来について考えてもらおうという意図で用意された映画だろう。
そのテーマ性ゆえ、つまり「ものごとにはいい面も悪い面もある」という事実を伝えるために、加えてアーカイブ映像との整合性を保つために、明暗のコントラストがクッキリとしたモノクロで画面は作られる。
ほとんどがスタジオ内、社長室、会議室といった室内のシーンなので絵作りは窮屈かつバリエーションも少なく、BGMなど音数も多彩ではないが、それは逆にニュース番組の製作現場における閉塞感を創出する。
ホンモノのエド・マローそっくりのデヴィッド・ストラザーンをはじめ、出演陣の演技は淡々として、“テレビでお馴染み”のキャストも多数配置されている。これらもテーマを身近に考えてもらおうという工夫か。
すなわち、理にかなった手堅い作りで仕上げられたテレビ論。
もちろん、テレビが社会や人を動かすことも人がテレビを動かすことも事実なのだろうが、「テレビ(の持つ力やシステム)に、人が(必ずしも正しいとはいえない方向へ)動かされる」のもまた事実。
マローが肺がんで死んだという皮肉な事実を知って、ますますテレビのありようについて考えさせる、そんな作品である。
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