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2008/12/27

FM89.3MHz(ヤクザ)

監督:仰木豊
出演:小沢仁志/浅川稚広/松浦祐也/あじゃ/渋川清彦/伊佐山ひろ子/山本浩司/堀田眞三/堀内正美

30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3

【ヤクザのシノギ、それはDJ】
 16年ぶりに出所した大川組の工藤準次。だが組は兄弟分の川端に牛耳られており、昔気質の準次に居場所はない。しかも組長から言い渡された新しいシノギは、歌舞伎町のミニFM局を仕切ること。元裏方のゆかタンがひとりで切り盛りする放送局へ舎弟分の鈴木とともに乗り込んだ準次は、図らずもDJを務めることになる。やがて“FM893”は人気を博するが、川端や準次の娘・桜、その彼氏らを巻き込んで思いがけない事件が発生する。
(2006年 日本)

【笑える。けれど、もったいない】
 正直、映画としての完成度はそう高くないと思う。
 DJ準次の歌舞伎町における重要性が増していく過程を、もっと見せてもよかったのではないか。現状でも、ラジオのおかげで弟分たちの闇商売が繁盛するさま、抗争の手打ちを仕切る様子などが盛り込まれているものの、ビフォア(準次登場前)とアフターの対比とか、準次に頼る人と頼らなかった人の対比なども描かれていれば、より準次の“ありがたみ”が鮮明になったことだろう。

 強烈に耳に残る三好達治の『雪』。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」が、準次自身の生きかたとシンクロし、誰に対しても分け隔てなく、筋を通し、ひとつの風景として歌舞伎町を覆う存在になっていく、そういう雰囲気作りがあれば、と思う。
 ちょうど鑑賞直後に「日本初の刑務所内ラジオ生放送が受刑者に人気」という記事を読んだ。ラジオ/DJが持っている“寂しさを包む役割としての存在価値”を盛り込んでも無理はなかったはずだ。

 また、せっかく「ヤクザの価値観とは無縁なところで生きる女性たち」が配置されているのに、それを生かせなかったことももったいない。ゆかタンや桜の心情描写がちょっと不足気味だ。
 たとえば、準次への誘いを断られてひとりで飲むゆかタン、ついでに自分のFM893における存在価値についても悩み始める、隣の席で口喧嘩を始めるチンピラたち、「だったら明日、FM893に電話して準次さんに聞いてみようぜ」という流れになり、こっそり微笑むゆかタン……なんてシーンでもあれば、不足を少しでも補えたはずだ。

 ほかにも、準次の古さ、川端のあくどさを端的に示す場面も欲しかったところ。鈴木が準次に感化され、不器用ながらも男になろうとする様子なんかもあってよかった。

 演出的にも「ここがポイントですよー」「ここから盛り上がりますよー」というところでフツーに撮ってしまっていて、やや物足りない。
 取っ掛かりのアイディアは抜群だが、それを噛み砕いてカタチにする段階でのいくつかの不足が気にかかる、といった仕上がりだ。

 が、好きか嫌いかといわれれば、結構好き
 大真面目にヤクザを貫き通す準次=小沢仁志がいい。下手にコメディ演技を混ぜるとシラケてしまうところを、あくまでヤクザとして振る舞い、けれどちょっぴり楽しみながらDJ業もこなす、その匙加減が上々。
 ゆかタン=浅川稚広の懸命さ、鈴木=松浦祐也の味も、いいアクセントとなっている。

 冒頭、すでに軽く扱われているんだけれど怖がられてもいるという準次の位置付けをスムーズに示したり、全体的なテンポのよさ、そして何より腹を抱えて笑えるところなど、いい部分も多い。
 それだけに余計、もったいなさが残る。もうちょっと細かなところまで突っ込んで、2時間くらいにふくらませて、ベタでもいいから起(DJを務めるまで)・承(準次の重要性が増していく)・転(事件)・結という流れと盛り上げかたを整理すれば、かなりの良作になるんじゃないだろうか。
 舞台をNYかシカゴあたりにしてハリウッドでリメイクしても、十分に面白いものに仕上がるポテンシャルを秘めていると思う。

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