ちーちゃんは悠久の向こう
監督:兼重淳
出演:仲里依紗/林遣都/高橋由真/波瑠/小野まりえ/中山祐一朗/永山菜々/飛田光里/堀部圭亮/西田尚美
30点満点中13点=監3/話1/出4/芸2/技3
【幼馴染の行く果てに】
地元の高校へ進学した幼馴染のふたり、モンちゃん(久野悠斗)は弓道部に入り、ちーちゃん(歌島千草)はオカルト研究会へ。「学校に伝わる七不思議」を記したノートを発見したちーちゃんに付き合わされて、モンちゃんは校内のオカルト・スポットを巡ることになる。弓道部の武藤先輩、クラスでイジメられている林田遊子、離婚の危機を迎えているモンちゃんの両親、さまざまな出来事の中で、ちーちゃんとモンちゃんの行く果てには……。
(2007年 日本)
【稚拙な物語、フツーの撮りかた】
仲里依紗の可愛らしさ(プラス林遣都のオトコマエかげん)くらいしか観るべき点はないわけで……。
ハッキリと女子中学生向け(としてら、イマドキの女子中学生もナメられたもんだなぁと感じるが)。どうやら原作は「ライトノベル」とやらで、この国ではそれは「奥行きも整合性もない、ぺらっぺらのお話」と同義語であるらしい。
ネタが早々にバレてしまうのは、まぁいい。中心にあるアイディアそのものも、新鮮味はないが別に悪くはないと思う。
が、その中間に詰め込むべきディテールというか、この世界に置かれた人たちの描き込みが、まるでダメ。
たとえば久野家の「母・妻の不在」という環境。「シンクに積み重ねられた、洗われていない食器」なんていうカットがあるだけでも“モンちゃんの周囲”はもっと立体的になるはず。父親なんか、ただ酒飲んでるだけで「この人がモンちゃんにとって、どういう意味合いを持つのか」が全然伝わってこない。
ほかにも、横柄な先輩のせいでギクシャクする弓道部、不思議少女・林田さんの生きかたなど、モンちゃんを取り巻く舞台と人を、なぜキッチリと、モンちゃんに影響をおよぼすモロモロとして機能させないのか。
特にヒドいのが武藤先輩のあつかい。高橋由真のシロウト芝居は「それも味わい。こういう人」と好意的に受け止めてあげるとしても、いきなり「私は八方美人。のっぺらぼう」とかいわれても、ねぇ。「武藤さんみたいな完璧な人」とかいわれても、ねぇ。
いろいろと完璧で、そういう人でも心に曇った部分を持っている、ということをちゃんと描写して、はじめてキャラクターとしてもストーリー的にも成立するんじゃないのか。
中心であるモンちゃんとちーちゃんの関係にしたって、明らかに描き込み不足だろう。たとえば、雨が降りそうな空、ちーちゃんに「傘を持って行ったほうがいい」というモンちゃん、「大丈夫だって」と軽くちーちゃん、怒ったように「傘は必要だ」とモンちゃん……、なんてシーンがあれば、あの日の出来事がモンちゃんの心に落とした影を表現できると思うんだが。
それに、なんでそのタイミングでネタがバラされるのか、かなり唐突。おまけにラストの、いま思いつきましたー、みたいなオチ。
オカルトにしたいのか、「大切なものを失った少年の自立」へと向かいたいのか、どっちつかず。要するに、ディテールだけじゃなく骨格もなっていないストーリーであるわけだ。
撮りかたも、ベクトルを見出しにくいデキ。良くいえば“気負い”のない安定した作風だが、裏を返せば「ここを印象に残したい」「こんな風に撮りたい」という“気合い”が感じられない。なんか、フツーなのだ。
ふたりのオカルト・スポット巡りが「ちーちゃんを探すモンちゃん」というクライマックスにつながる構成は、描きかた次第でかなり感動できる可能性を秘めているはず。だからこそ、いろいろな不足+べたーっとしたフツーの撮りかたが、もったいない。
そんなわけでまとめれば、仲里依紗をオレにくれっ! んや、迎えに行くからそこで待っててくれっ! という映画。
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