SAYURI
監督:ロブ・マーシャル
出演:チャン・ツィイー/渡辺謙/役所広司/ミシェル・ヨー/コン・リー/工藤夕貴/桃井かおり/ツァイ・チン/ケイリー=ヒロユキ・タガワ/ランダル・ダク・キム/マコ/舞の海秀平/大後寿々花
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸3/技4
【芸者となった少女の、最後の夢】
漁村生まれの千代は、家の貧しさゆえ花街に売られる。姉と引き離され、初桃と豆葉というふたりの姐さんの確執に挟まれて、おカボとともに女中として置屋で働く毎日だ。そんなとき、彼女は会長と呼ばれる紳士と出会う。いつかあの方に身請けしてもらえる立派な芸者になろうと、千代の修行が始まった。やがて“さゆり”の名をもらった彼女の初仕事の日が訪れる。だが初桃や豆葉の思惑、そして戦争によって彼女の人生は翻弄されるのだった。
(2005年 アメリカ)
【テンポよく進むが、突っ込みとメリハリが不足】
日本の文化としての「芸者」を伝える作品ではない。「ゲイシャ」という特殊環境化に置かれた少女の、フィクションとしての成長物語とでも呼ぶべきもので、そう考えれば垣間見られる“トンデモ日本”も許容範囲、英語と日本語の奇妙なミックスもアリだろう。
ゲイシャのシステムをわかりやすくストーリーに盛り込み、それが展開に関わってくるのだから、ちゃんとお話・映画として成立しているといえる。
ただ、足りないものがある。千代の“想い”という、この作品のキモとなる部分が描き切れていないのだ。
たとえば会長との出会いのシーンは、もっと「千代にとって特別」と感じさせる大胆な構図・演出が必要だったはず。ほかにも、初桃の屈折した感情の由縁とそれに対する千代のリアクション、おカボとの交流、姉に頼りっきりだった幼少時代、さまざまな知識・話術を身につけていく千代……といったシーンがもう少しあれば、運命に振り回される千代の健気な姿が鮮明に浮き上がり、物語は厚みを増したことだろう。
女としての幸せと、ゲイシャとしての幸せ。その対比もあってよかったのではないだろうか。それと、どうも「なんだ、要するにロリコン親父の話じゃんか」という印象を拭えない結びかたでもある。
思うに、カメラが動きすぎ。しじゅうダイナミックに舞台を捉えようとするものだから、キーとなる場面もその中に埋もれてしまい、そのせいで千代の心の動きも際立ってこないのだ。
また、延さんや会長の価値観が醸成された過程、初桃と豆葉の確執、豆葉とおカボのつながりなども希薄。「○○は○○だ」と、セリフで強引に納得させる箇所も多い。2時間30分もありながら、ゴージャスな絵作りばかりに時間を取られて必要なものが削がれてしまっている感が強い。
そのぶん、確かに画面の雰囲気はゴージャス。美術の仕事は思ったほど上質ではないが、陰影たっぷりに、世の中およびゲイシャ世界の闇の部分を表現する。
流し目のシークエンスをはじめ、修行時代の描きかたはテンポがよく、音楽や人の動きに合わせてポンとシーンを切り替えるタイミングのよさも良。このあたり、ミュージカルの仕事をしてきたこの監督ならではだろう。
さゆりが雪の中で舞うのを、ライバルであるはずの初桃がうっかり見とれてしまうあたりなど、画面から心情をわからせる上手さもある。
役者も健闘。最初は「大丈夫か?」と感じさせたチャン・ツィイーはちゃんと美しくなっていくし、渡辺謙、役所広司、桃井かおりも手堅い。なにより大後寿々花ちゃんが可愛いので、もうそれだけでOKだし。
各所に頑張りやセンスが感じられるぶん、なおさら、心象描写の少なさや突っ込み不足が惜しまれる映画である。
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