ニュー・ワールド
監督:テレンス・マリック
出演:コリン・ファレル/クオリアンカ・キルヒャー/クリスチャン・ベイル/オーガスト・シェレンバーグ/ウェス・ステューディ/デヴィッド・シューリス/ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン/ラオール・トゥルヒロ/マイケル・グレイアイズ/ベン・メンデルソーン/ノア・テイラー/クリストファー・プラマー
30点満点中17点=監4/話2/出3/芸4/技4
【入植者と先住民。それは許されぬ恋なのか?】
1607年、イギリスから新大陸へとやってきた入植者たち。だが作物は育たず、先住民たちとの諍いも勃発。船長らは救援物資を手に入れるため、いったん母国へ戻ることになる。残された人々は、幾多の苦難を潜り抜けてきた英雄ジョン・スミスを恃んで先住民との交易を図ろうとするが、逆にスミスは囚われの身になってしまう。やがて先住民の王の娘ポカホンタスと恋に落ちるスミス。だがそれは、決して許されない想いだった。
(2005年 アメリカ)
【夢でも真実でもなく、現実が決める未来】
独特のリズムが特徴。
1~20の出来事のうち、通常なら「こことここをピックアップして上手くつなげよう」という意識のもと、たとえば1、5、9、11……と順送りかつバランスよく進めるところを、本作は1、11、20、14、15……とかなり感覚的につないでいく。
ダイジェスト的であることはもちろん、かなり散文的でもあるのだが、いっぽうでシナリオ1行を3分かけて描く濃密さも持つ。そこにジェームズ・ホーナーによる、音の上に音がこれでもかと重なる音楽が乗っけられて、相当に重厚だ。
しかも1カットずつが、写真集的な美しさをたたえる。エマニュエル・ルベツキの面目躍如たる、透明感・空気感・広がり感、そして切なさの詰まった瑞々しい絵の連続。
また、そこで「喋っている人」が捉えられることは少なく、むしろ聞いている人の表情がうつされたり独白による処理が多い。数少ないセリフはどれも詩的で、ストーリー映画というよりCMかドキュメンタリーか、あるいは抒情詩と叙事詩をミックスして映像化した作品、といった趣きである。
その特異な作りの中で、コリン・ファレルが苦悩のあまり寄せる眉と、クオリアンカ・キルヒャーの美しき肢体が映える。
とはいえ、登場人物の心情や出来事を、ハラハラしたり感情移入したりして楽しむような作品ではないだろう。「こういうことがあったのです」と突きつけられる映画、といったところか。
こういうこと=夢や真実ではなく“現実”を選んだ人々の末路。
もちろん恋の始まりは、夢とか真実とか現実などとは無関係の、一瞬にして心中に沸き上がる衝動だったのだろう。けれど、その後は淡々と、食料がない、このまま一緒にいるわけにはいかない、争いは避けたい、愛してくれる人や子どもと共に暮らしたい……といった現状・現実が積み上げられ、そうした状況を打破・回避・維持していくための選択が描かれていく。
たぶんこの世の中、“現実”やそれに基づく選択・行動は、“夢”や“真実”よりもはるかに切ないもの。そして歴史は往々にして、逃れなれない現実が積み重ねられることで作られていく。そんなことを教えてくれる作品である。
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