サンキュー・スモーキング
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:アーロン・エッカート/キャメロン・ブライト/マリア・ベロ/デヴィッド・ケックナー/J・K・シモンズ/ウィリアム・H・メイシー/ケイティ・ホームズ/キム・ディケンズ/アダム・ブロディ/ロブ・ロウ/トッド・ルイーソ/サム・エリオット/ロバート・デュヴァル
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3
【ウソではない。ただ真実を話さないだけ】
ニック・ネイラーはタバコ研究アカデミーの主任スポークスマン。タバコ業界を守るため、卓越した話術で消費者を“煙に巻く”のが仕事だ。だが妻と別れ、慕ってくれる息子ジョーイと会えるのは週末のみ、友人はアルコール業界と銃器業界のスポークスマンだけ。それでも彼は、ハリウッドにタバコを売り込み、あるいはタバコ会社を訴えようとする人を懐柔し、タバコ業界を目の仇にする上院議員と対峙すべく、今日も東奔西走するのだった。
(2006年 アメリカ)
【意外と、普遍的なテーマを扱った作品】
日に2箱近く吸っていると、さすがに「いいのかな?」とは思う。1日あたり約600円、1年にすると20万円。タバコをやめるだけで海外旅行に行けちゃうじゃん。海外旅行1回分くらいのコーフンや癒しをタバコから得られているかというと、そんなわきゃないだろう。
タバコ増税が取り沙汰されているけれど、さすがに1箱1000円になったらやめるだろうな。500円だと微妙。
健康上の問題? そんなもの、経済的な問題に比べればたいしたことじゃない。だって世の中には、食品添加物とか高カロリー食品とか環境ホルモンとか低周波とか、そろそろ衰えてきた体をさらに蝕んでいくモノゴトが転がっているわけだし。タバコばっかり敵視したって仕方ないんだもの。
ああ、わかってますって。そんな考えが欺瞞だってことくらい。
そんな欺瞞に満ちた世界を笑い飛ばしつつも、警鐘を鳴らそうとするのが本作。ただ、たまたま舞台がタバコ業界だったというだけで、映画業界もマスコミも法曹界も、それぞれ欺瞞に満ちた企業倫理で動いているのだと、この映画は告げる。
ニックだけでなく、映画自体が観客を煙に巻こうとしているのが面白い。観客に考えさせる間を与えないよう、ニックのナレーションを畳み掛けて軽快なテンポで突き進む。登場人物たちはみな、ややヒステリックに威勢よく喋る。ヤニを思わせる赤みがかった画面で観る者を取り囲む。
いっぽうで、読み取って考えるためのチャンスも与えてくれる。アーロン・エッカートとキャメロン・ブライト、上質な芝居を見せる親子が一瞬だけ示す、表情の細かな揺らめきがそれだ。
その揺らめきから「ホントに笑っているだけでいいのか?」という疑問を抱き、観客自身が“現在の社会状況”を整理・消化して、それぞれの答えを導き出す。それこそが、この映画の果たす役割なのだろう。
ニックが脅迫を受ける場面で、ポンっとジョーイの表情が捉えられるのが印象的だ。実際にニックは生命の危機にさらされる。かなり直接的に「笑っているだけでいいのか?」と疑問を突きつける展開だ。
が、そのうえで彼らは、いっそ欺瞞の中を泳ぎ、なんなら社会にはびこる欺瞞を利用し、一切合財を受け入れたうえで、“愛”という絶対的な価値判断に従って、せめて自分たちだけは最良の道を選択する自由と知恵としたたかさを身につけよう、なんて方法論で世の中を渡っていくと決めるのだ。
たぶん、このネイラー親子のような生きかたが、もうほとんどどうしようもないところに来ている現代を生きるうえでもっとも現実的な方法なんだろう。
そういう、生きかたや処世術、子どもの育てかたといった普遍的なテーマを扱った映画である。
そして僕自身も、莫大なローンを抱えてこの世の中を渡っていかなければならない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント