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2009/03/31

ヒトラーの贋札

監督:ステファン・ルツォヴィツキー
出演:カール・マルコヴィクス/アウグスト・ディール/デーヴィト・シュトリーゾフ/マルティン・ブラムバッハ/アウグスト・ツィルナー/ヴェルト・シュトッブナー/セバスチャン・ユルゼンドウスキー/アンドレアス・シュミット/ティロ・プルックナー/ドロレス・チャップリン

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4

【贋札と彼らの命】
 1939年、ベルリン。日増しにユダヤ人への弾圧が強まる中、紙幣やパスポートなどの偽造で広く知られるサリー・ソロヴィッチも極悪な収容所へと送られる。やがてサリーは別の施設へ移送されるが、そこで待っていたのは彼を逮捕したヘルツォーク。サリーをはじめ、印刷技師やカメラマンなどを集めてイギリス・ポンド紙幣を偽造させようというのだ。技師ブルガーは密かにサボタージュを進めるが、サリーは生き延びるために……。
(2007年 オーストリア/ドイツ)

【虚無感へと切り込んでいく】
 カメラの前で何かが起こるのではなく、出来事の中にカメラを持って乗り込んでいく、ドキュメンタリー・ライクな撮りかた。ガッシリと再現された収容所施設の美術ともあいまって、観る者をその場へと連れて行く。
 ただし、単に“カメラをまわす”のではなく、暗い部分はより暗く、曇った空や澱んだ空気はさらに濁らせて、世界を作っていくイメージ。そうすることで浮かび上がる、収容された者たちの苦しさ。その場感を出しつつも、かなり「撮るべきものを撮る」ことにこだわった作風だ。

 繰り広げられる出来事は、どこか滑稽である。仕方なく悪事に手を染めてしまう者たちの奇妙な一体感。その悪が成功したときの悦び。生き延びるために、あるいは「前にいた施設には戻りたくない」という願いを実現させるために、みんな懸命だ。ある意味で『プロジェクトX』的であり、物悲しく流れるタンゴは牧歌的でもある。
 ときには媚びへつらい、またあるときには強がったり凄んだり取り引きを持ちかけたりする。そんなサリーの様子、人間が身につけざるを得ない多面性もまた悲しくて滑稽だ。

 が、現実は痛烈に突きつけられる。いかに強要されようとも、それは罪であること。壁1枚隔てた向こうには地獄が広がっていること。そして、負けた者にも虐げられていた者にも何ひとつ残らないという、戦争の真実。
 それでもまだ「俺たちはなぜ、あんなことをしてしまったんだ」という悔恨があれば、それを糧としたり、償いの道を選んだりして生きていくこともできるだろう。しかし、サリーにあるのは「あの期間は何だったのか?」という思いだけ。

 皮肉なことに、欺瞞に満ちたヘルツォークが、ひとつだけ真実を口にしてくれる。「人生を自分で切り拓いていく力が大切」だと。自由を奪う立場にある者が吐く、自由意志の尊さ。
 確かにサリーは、策を弄し技術を駆使し、仲間を裏切るまいと奮闘し、つまりは自由意志をできる限り発揮した。が、それで彼に残されたのは虚無感だけなのだ。その事実が、凄く痛い。

 ナチ/アウシュビッツものでは人間の残虐さや戦争の愚かさが描かれることが多いと思うが、本作は、サリーの虚無感を描くことで戦争の無意味さへと切り込んでいく
 多くを“語る”ことなく、「撮るべきものを撮る」ことで“見せる”作りに徹しながら、いま見ているもののほぼすべてが無意味なのだと告げる映画である。

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