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2009/03/11

エディット・ピアフ~愛の讃歌~

監督:オリヴィエ・ダアン
出演:マリオン・コティヤール/シルヴィー・テステュー/パスカル・グレゴリー/エマニュエル・セニエ/ジャン=ポール・ルーヴ/クロチルド・クロ/ジャン=ピエール・マルタン/カトリーヌ・アレグレ/マルク・バルベ/カロリーヌ・シロル/カロリーヌ・レナード/マノン・シュヴァリエ/ポリーヌ・ビュルレ/ジェラール・ドパルデュー

30点満点中17点=監3/話1/出5/芸4/技4

【世紀の歌手、波乱の生涯】
 大道芸人の父と歌手の母との間に生まれたエディットは、売春宿で娼婦たちに育てられる。成長した彼女は路上で歌って生活するようになるが、その姿をレストランのオーナー・ルイに見初められ、また芸術家レイモンらの手ほどきもあって、さらに歌の才能を伸ばしていく。やがて圧倒的な名声を得たエディットだったが、いくつもの悲恋、交通事故、酒や麻薬など自堕落な私生活が彼女の体を蝕み、ついにはステージ上で倒れるのだった。
(2007年 フランス/イギリス/チェコ)

【力まかせの怪演】
 まずはエディット・ピアフを演じたマリオン・コティヤールに拍手。力演とか好演というよりも、凄まじいまでの怪演だ。
 前かがみの姿勢、卑屈な上目遣い、オドオドとした立ち居振る舞い、虚勢と尊大さ、そして病気による衰弱……。『ビッグ・フィッシュ』ではただの“よくできた嫁さん”だったが、ここでは20歳から死の床へと至るまでのエディットの“真っ直ぐさ”や“すさみ”を自由奔放に演じ切る。
 観客が実際のエディット・ピアフを知っているかどうかは関係ない。この物語の主人公たる「エディット・ピアフという、ひとりの人物」を創り上げた技そのものがオスカーに値する。

 そのマリオン/エディットをフィルム上に刻みつけていく作りも、なかなかのものだ。
 撮影は『大停電の夜に』の永田鉄男。手持ちカメラで現場に乗り込んでいくかのような撮りかた、あるいは渾身の長回しで臨場感を高める。
 さらに印象的なのは、その陰影の強烈さ。ほとんどの場面で画面の半分以上が陰によって塗りつぶされる。エディットがカーテンを開けるのを嫌がるシーンがあることからも、闇=彼女の生きざまというテーマ、それを実現する撮影プランであるのは明らか。私生活に落ちる陰が、スポットライトの下でまばゆく輝くエディットの姿とコントラストをなす。
 街並の再現や衣装など美術面の仕事も優秀。唇と歌とのシンクロも素晴らしく、前のシーン(若かりし頃)から次のシーン(老いた後)へと音が漏れるようにして時間の連続性と「エディットは何ら変わっていない」ことを示すなど、音の用いかたも上手い。
 全体に格の高い作りといえるだろう。

 が、物語はあまりに雑然としている。
 グチャグチャの時制は、前述の「エディットは何ら変わっていない」ことを表現する手法として有効だと思う。シャンソンの歌うものが「退廃」とするならば、エディットの刹那的な生きかたはまさにシャンソンそのものであり、その事実を訴えかける内容にもなっていると思う。

 けれどここには「なぜ」がない
 何もかも奪われ、ただ歌だけが残されて、結果として「歌わないと自分を信じられない」というところに追い込まれてしまうエディット。その因果の結びつきが、時制をこねくり回すことで希薄になってしまったように感じられる。彼女の人生をよく知る人が観れば「ああ、あのエピソードね」「この頃は評価されていなかったんだよね」などと相槌も打てるのだろうが、そうでない者を引き込むには、舌っ足らずな流れだ。

 乱暴ないいかたをすれば「そもそもこのオンナ、まぁ生い立ちに同情の余地はあるとしても、こんなに身勝手で破滅的だったら、そりゃあ身体も潰すし幸せも手に入れられんだろ」というところで、こちらの気持ちが止まってしまう。
 AがあったからBが起こり、そのためCという人間になった、という流れを深く掘り下げる描写・構成であれば、もっと感情移入も促されたと思うのだが。

 そんなわけで少々“入って行きづらい”内容。マリオン・コティヤールが放つパワーによって無理やりに引き込む、力まかせの映画であるようにも思えた。

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