スルース
監督:ケネス・ブラナー
出演:マイケル・ケイン/ジュード・ロウ
30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4
【男と男のゲームが始まる】
田舎の村の大邸宅に暮らす、高名な犯罪小説家アンドリュー・ワイク。彼のもとにマイロ・ティンドルと名乗る青年が訪ねてくる。ティンドルはワイクの妻マギーの浮気相手で、ワイクに「マギーと別れてくれ」と頼む。それに対してワイクは「妻に執着心などないが、マギーは湯水のごとく金を浪費する女。一文無しの君ではどうにもならない」と諭し、ティンドルにある取り引きを持ちかける。話に乗ったティンドルだったが……。
(2007年 アメリカ)
【スッキリしない、お芝居映画】
少し心配していたことではあったが、やはり舞台劇を無理やり映画に仕立てた感の否めないデキになっていた。
頑張っているとは思う。防犯カメラや俯瞰を駆使して、多彩な絵が作られている。演者ふたりの表情を、解像度高く、陰影たっぷりに描き出す。特にラスト近く、ワイクの携帯電話が鳴ってそれをふたりが同時に見る、という場面の絵づくりは、なかなかに意欲的だ。
物静かな音楽も、ユニークな邸宅内美術も、作品世界にマッチする。全体として、工夫を凝らし、なんとか「映画」として成立させようという誠意の感じられる作品ではある。
が、“お芝居映画”から脱し切れていないのも事実。
ほぼ邸宅内のみで話が進む。出演者は実質ふたり。彼らのやりとりは、舞台劇にありがちな「自分は頭がいいと思っている人物の、持ってまわった言葉遣い」に終始する。しかも、かなりセリフ量が多い。事件のネタそのものは、たいしたことがない。
つまり骨格からして「このふたりの芝居を見てください」という作品なのだから、どれほど工夫を凝らそうと限度かあった、ということか。
中盤、ワイクが凶暴で狡猾な素顔をあらわすあたりでサスペンス映画としての面白さが出てくるのだが、それも一瞬だけ、トータルとしては、ややダラダラ感のある会話劇にとどまってしまっている。
しかもマイケル・ケインとジュード・ロウ、確かに堂々と、熱の入った演技で楽しみながらのアンサンブルを見せてくれるのだが、どうもシナリオに縛られているというか、「これはお芝居映画なんです」という呪縛から逃れられずに、弾けていない印象だ。
映画で観たいのは、こういうものじゃないんだけれどなぁ、という、スッキリしない思いが残る作品である。
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