ミスト
監督:フランク・ダラボン
出演:トーマス・ジェーン/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ローリー・ホールデン/ネイサン・ギャンブル/アンドレ・ブラウアー/トビー・ジョーンズ/ウィリアム・サドラー/ジェフリー・デマン/フランシス・スターンハーゲン/アレクサ・ダヴァロス/クリス・オーウェン/サム・ウィットワー/ロバート・C・トレヴェイラー/デヴィッド・ジェンセン/メリッサ・スザンヌ・マクブライド/ケリー・コリンズ・リンツ
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3
【霧の中に、何がいるのか!?】
湖畔の田舎町で、妻ステファニー、息子ビリーとともに暮らすポスター画家のデヴィッド・ドレイトン。ある大嵐が過ぎ去った翌朝、デヴィッドはビリーや隣人ノートンと町のスーパーマーケットへ買い出しにやって来た。そのとき血相を変えたダンが店に飛び込んでくる。「あの霧の中には、何かがいる!」。直後、町を覆いつくす深い霧、飲み込まれていく人々。デヴィッドや店に取り残された人たちは、恐怖の時間を過ごすことになる。
(2007年 アメリカ)
★ややネタバレを含みます★
【見た目とは裏腹の怪作かも】
なまじ『ショーシャンクの空に』という大傑作を残したばかりに、必要以上に期待されてしまうダラボンとキングのタッグ作。今回も、物語の後味の悪さとともに「う~む」という感想を観る者に与えるだろう。
いや実際、面白さにあふれる映画ではないし、作品としての“格”もそれほど高くないといえる。
手馴れた作りではあるだろう。
たがいに顔見知りだとスムーズに知らせる導入部や、間を置いて見どころを散らす流れの上手さ。静かに話し、結局は何もできない人と、自然や超常現象の凄まじさ・苛烈さの対比。ドキュメンタリー・タッチのカメラワークを織り交ぜ、観客をその場に放り込むことで募らせる不安。
マーク・アイシャムの音楽も重厚かつ悲しげだ。
が、トータルでいうと地味。まぁネイサン・ギャンブル君は相変わらず可愛いし芝居も上手いし、「どこかの田舎町」という雰囲気がよく出ているキャスティングではある。アクションもそれなりに用意されている。
けれど、地味ぃな人たちが地味ぃに怖がる展開/シーンに終始して、ワクワク感も、ガツンとやられるようなショックもない。しかも出てくる連中みんなバカ。虫に灯りを見せれば、そりゃあ突っ込んでくるだろうが。「ヒーローなきモンスター・パニックもの」という枠から飛び出せていない、という印象も強い。
テレビドラマっぽい狭い画角とベタっとした色調が、スケール感の不足も呼んでいる。時おり挟まれるブラックアウトもテレビ的だ。
舞台のほとんどがスーパーマーケットの店内、「人は争うもの。だから政治と宗教がある」なんていう哲学的なセリフも散らしてあって、舞台劇のような空気も漂う。
登場人物たちが置かれている状況と同様に、映画そのものも閉塞感に覆われているような仕上がりだ。
ただ、そこに潜まされている強烈な真理ゆえに、駄作とはなっていないのも確かだ。すなわち“天罰”についての解釈。
ひょっとすると、あのトラブルメーカー、オカルトかぶれのミセス・カーモディが全面的に正しいのかも知れない。神が実在するにせよそうでないにせよ、人は、踏み入ってはならない、人類の能力では持て余してしまう領域にズケズケと土足で踏み込んでしまった。そこで直面する「これまでの経験や知識では説明・対処できないもの」が人を傷つけ苦しめ、“天罰”として受け止められることになるわけだ。
天罰に取り囲まれ、愛なき擬似家族として最期を迎えなければならないという侘しさ。天罰さえ力ずくでどうにかしてしまおうとし、実際にどうにかしてしまう人類の傲慢さ。その傲慢さの先には、きっと次の天罰が待ち受けているに違いないはずなのだが。
アイロニカルに、物語は終幕を迎える。
かくして『ベルセルク』と『スターゲイト』と『アラクノフォビア』がミックスされ、さらに『ポセイドン・アドベンチャー』や『蝿の王』のスパイスまで振りかけられて、結果として“神と人の関係”を考えさせるという怪作が完成した。
パっとしたところもスカっとしたところもないけれど、意外と深みのある映画なのかも知れない。
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