アース
監督:アラステア・フォザーギル/マーク・リンフィールド
ナレーション:パトリック・スチュワート/渡辺謙
30点満点中17点=監4/話3/出2/芸4/技4
【偶然の奇跡、地球】
地軸の傾きと公転が季節の変化をもたらし、大いなる水の循環を生み、多種多様な生命を育んだ星・地球。カメラは、北極に訪れた春、ツンドラと森林地帯、温暖な土地、熱帯雨林、砂漠とサバンナと湿地、ヒマラヤ山脈、赤道直下の海、そして南極へ、地球を北から南へ縦断する。世界200か所以上、撮影期間5年という英BBC製作『プラネット・アース』のアーカイヴをもとに構成された、地球と、そこに暮らす生物たちの物語。
(2007年 ドイツ/イギリス)
【メッセージを伝えるための映画】
画面を覆い尽くす動物や鳥の群れ、雪山に氷に空に海に森、太陽の光と花と緑……。あるときは幾何学模様に風景や生命の営みが切り取られ、あるときはダイナミックに地球の姿が捉えられる。
俯瞰からマクロまで大胆かつバラエティに富んだ絵は「どうやって撮ったんだろう?」というより「よく撮ったよなぁ」と感心させられることの連続だ。この美しい映像は、なるほど確かに大スクリーン向き。ジョージ・フェントンのスコアをベルリン・フィルが演奏したというサウンドトラックも格調高く響く。
ただ、意外なほど上品で大人しい。そこらへんの劇映画が尻尾を巻いて逃げ出すくらい圧倒的に美しいのは事実だし、史上初めて捉えられた貴重な映像が多いこともわかるのだが、ドスンと、人間の感情のプリミティブな部分に切り込んでくることは少ない。
捕食動物が狩りをする様子もいくつか出てくるが、あまり残酷にならないよう気を遣っている感じ。登場する動植物のバリエーションも少なく、たとえば昆虫、爬虫類、サメ以外の魚類などは、ほぼ蚊帳の外。
また、必ずしも地球と、そこに棲む生命の姿を“ありのまま”に示しているわけではない。何年もかけ、まったく別々に撮られた映像をつないでひとつの出来事として構成する編集の上手さがある。あるいはハイスピード撮影/スローモーションや低速度撮影を多用し、かなり大胆に合成やコンピュータ処理も使って仕上げられている。
全体として「ウゲっ」「うわっ」が2割、「ほほぉ」「へぇ~」が8割の配分、撮れたものをそのまま提示するのではなく、「撮りたかったものを撮ってきて、それを見せたいように構成した」というイメージだ。
見せたい、というのは、伝えたいメッセージがあることに他ならない。本作が意図したメッセージは、ラストで伝えられる情報を聞くまでもなく、ストップ・ザ・地球温暖化。
大自然ドキュメンタリーは「いま自分が地球環境のために何ができるか、この美しい世界を守るためにしなければいけないことは何か」と鑑賞者に考えてもらう役目を負うわけだが、中でも本作は「地球温暖化」へとベクトルを向け、不要なものはどんなに面白い映像でもバッサリ切り捨てるという方法論で作られている。
かつて、生産と消費こそが人類の美徳だった。少々の環境破壊があっても対症療法でお茶を濁して根本的な問題には知らんぷりを決め込んできた。たとえ資源を食いつぶしたとしても、そうなりゃあ夢いっぱいの宇宙空間へ飛び出せばいいのだ。
だが21世紀に入って、研究者も政治家もマスコミも、利権争いに振り回されながらも「地球を守るための暮らしかた」へと、全世界的なパラダイム・シフトを起こそうと(表面上は)懸命だ。
そうした時期に作られた、まさにその目的のために存在する映画。ただ美しさに感動して心が洗われたなどといっていてはダメ、もっと肉食動物を出せよなんてもってのほか、“理”の部分で、この映画が伝えようとしている大きな問題を考えるべき作品だろう。
ひとつ気になったのは、ナレーションを除いて“人の影”が徹底して排されていること。モクモクと煙を上げる工場群や交差点にひしめく自動車などを挿入する手もあっただろうが、そうはしなかった。それどころか、建造物はいっさいうつさず(宇宙からの画像にも人工物は感じられない)、撮影に使われたであろうヘリコプターの影も、ジープやスノー・モビルが刻んだはずの轍も、グライダーの風切り音なども、完全にシャットアウト。
まるで「人がいないからこそ、自然はこんなにも美しい」とでもいうような作り。やはり、この作品を観て心が洗われているようではダメなのだ。
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