サン・ジャックへの道
監督:コリーヌ・セロー
出演:アルチュス・ドゥ・パンゲルン/ミュリエル・ロバン/ジャン=ピエール・ダルッサン/パスカル・レジティミュス/マリー・ビュネル/マリー・クレメール/フロール・ヴァニエ=モロー/エマン・サイディ/ニコラ・カザレ
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸4/技3
【喧嘩ばかりの1500km】
大会社を経営するピエール、高校教師のクララ、飲んだくれで失業中のクロードは、仲の悪いきょうだい。だが「遺産相続の条件は3人いっしょにサン・ティアゴまで巡礼の旅をすること」というのが母親の遺言。仕方なく3人は、ガイド役のギイ、バンダナの女性マチルド、高校卒業を控えたカミーユとエルザ、文字の読めないラムジィとその友人サイードらとともに、フランスからスペイン、1500kmもの旅路を歩むのだった。
(2005年 フランス)
【笑いの中に潜む、世界成立の真理】
気がつくと「最近、知らず知らずこの手の映画をよく観ているなぁ」ということがある。
たとえばこの1年を振り返ると、人と人との関係、人と社会との関係、人と人で作り出す世界……といったものを描いた作品。
そんなわけでここからしばらくは“関係”シリーズということで。
ファースト・カットが美しい。あの空、あの色合い。
そこから“手紙の旅”を経て本編へという流れが、なかなかスマート。以後も、抜群のロケーションを大きく捉え、テンポよく9人の旅路は進む。1日が経過したことを夢で示すなど、技法も鮮やかだ。
でも、誰も景色なんて見ていない。テンポがいいとも順調とも思っていない。夢はちっとも安らぎにならない。
無理もない、みんなそれどころじゃないのだ。それぞれに抱えているものがあり、彼ら彼女らを取り囲んでいる状況がある。1500kmもの巡礼の旅に臨む人たちは、決して敬虔なキリスト教徒などではなく、いろんなモノゴトから逃れられないでいる“ただの人”だと本作は伝える。
脱毛クリームだとか必要ないものを捨てて身軽になり、わだかまりを少しずつ消し去っても、依然として人は人のままである。
だが、きっとそれでいいのだ。巡礼の目標・目的は信仰心の証明なんかじゃない。自分が“いまここに生きている、ただの人”であることを見つめ直して、そんな人と人とが触れ合ったり助け合ったりすること=関係を築いていくことで世界は作られていく、ということを理解するための旅なのだ。
イエスにアッラーに仏陀、唱える人は違えども、宗教なんて、どれも似たり寄ったり。あるいは、一方から見れば聖人でも他方から見れば虐殺者。
ただ、そういう宗教を作り出した人というのは弱いものであり、だからこそ「ともに歩む」ことが必要となる。
ラスト近く、波打ち際のラムジィとサイード、彼らを見つめる7人、その映像のなんと美しいこと。そして、9人の間に流れる感情。
そう、景色というのは「自分とは無関係に自分の周囲にあって、ただ眺めるもの」ではない。そこに“心と心で触れ合った、人と人”がいることで初めて完成するのだと思い知らされる。よきにつけあしきにつけ、世界は、人なしでは成立しないのである。
笑いを交えながら静かに軽やかに、この世界の真理を突きつけてくる映画である。
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