« 再会の街で | トップページ | バウンド »

2009/07/27

迷子の警察音楽隊

監督:エラン・コリリン
出演:サッソン・ガーベイ/ロニ・エルカベッツ/サーレフ・バクリ/カリファ・ナトゥール/シュロミ・アブラハム/ユーリ・ガブリエル/イマッド・ジャバリン/アクヴァ・ケーレン/フランソワ・ケール/ヒシャム・コウリィ/タラク・コプティ/リナット・マタトフ/ルビ・モスコビッツ/ヒラー・サリョン/アイード・シーティ

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【見知らぬ街に迷い込んだ楽団】
 イスラエルに作られたアラブ文化センターの開設イベントに、ゲストとして招かれたエジプトの楽団・アレキサンドリア警察音楽隊。8人がバスで目指すのはペタ・ティクヴァの街だ。ところが彼らは間違って、何もないベイト・ハティクヴァに辿り着いてしまう。途方に暮れるトゥフィーク隊長らを救ってくれたのは、レストランの女店主ディナ。8人の楽団員たちは、見知らぬこの街で不安かつ気まずい夜を過ごすことになるのだが……。
(2007年 イスラエル/フランス/アメリカ)

【迷子たちのコミュニケーション】
 迎えはいっこうに現れず、写真撮影は邪魔され、言葉はわからないし、電話は切られる……。冒頭から「上手くいかない」ことを畳みかけてクスリとさせてくれる。
 さらに、疑問や質問や選択肢を提示して、その答えを見せずに次のシーンへ移る、というリズム感がいい。灯りや音、撮影は、その場感たっぷり。それらがあいまって、うら寂しい街に本当に迷い込んだような、でも一夜明ければどうにかなりそうな、“なんとなくの不安”を作り出す。

 そこで描かれるのは、コミュニケーションのありよう。英語、音楽、バックギャモン、子どもの存在らが媒介となって「十分に言葉が通じなくても、なんとか意思疎通は図れるよ」ということが語られる。
 そして、コミュニケーションでは“カタチ”ではなく“中身”が大切なんだということも知らせてくれる。より具体的にいえば「最低限の用件以外のことを話すことから、すべてが始まる」ということだ。

 男と女、男と男、そして男たちと家族による、とりとめのない会話。たとえ言葉が通じたとしても、もともと他人どうし、勘違いやズレは生まれることだろう。でも臆せずに、恋や哲学といったパーソナルなところにまで踏み込んでいき、ときにはハプニングもまた良しという姿勢で話そうとすれば、きっと、勘違いやズレを超えた何かが顔をのぞかせるはず。
 そして、迷子になっているのは自分たちだけじゃなく、誰も彼も人生における迷子なのだと知るのである。

 個人対個人の関係だけではない。文化対文化についても描かれる。たとえば私がこの街に迷い込んだなら「殺風景な体育館のような場所で、ローラースケートを履いて踊ることを娯楽としている人たち」が存在することを知って、純粋に驚き、感動しただろう。

 そう、ただ「話す」から、「知る」への移行。それこそがコミュニケーションなのだと本作は教えてくれる。

 その他で印象に残ったのは、ディナ役ロニ・エルカベッツの色気とオトコマエっぷり。モニカ・ベルッチに生活臭とやつれを足したような“わびしい艶”が、人間世界の多様性を感じさせる。
 それと、いとこ、ペピ、カーレドが3人並んで座っているカット。キッカケと助力と酒と懸命さと優しさがあれば、それでいい。そんな、人と人、男と男、男と女の関係におけるシンプルな真実を笑いの中に盛り込んで、映画史上に残るラブシーンとなっている。

 われも人。彼も人。彼女も人。みんな迷っている。けれど、迷いがあることを前提とするなら、まぁなんとかやっていける。そういうことを静かに伝えてくれる映画である。

|

« 再会の街で | トップページ | バウンド »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 迷子の警察音楽隊:

« 再会の街で | トップページ | バウンド »