ファウンテン 永遠につづく愛
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ヒュー・ジャックマン/レイチェル・ワイズ/エレン・バースティン/マーク・マーゴリス/スティーヴン・マクハティ/フェルナンド・エルナンデス/クリフ・カーティス/ショーン・パトリック・トーマス/ドナ・マーフィ/イーサン・サプリー
30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4
【失うことへの恐怖、手にすることへの畏怖】
腫瘍に侵された妻イジーを救うべく、新薬の開発に取り組む医師トミー。閃きから南米の樹木を利用した実験を試みたものの、思った効果は出ず焦りを募らせる。いっぽうスペイン女王イザベラは、国を守るため、不死へとつながる生命の木を探すよう遠征隊長トマスをマヤへと遣わす。また、トムは透明の球体宇宙船に乗り、生命の木とともに、生まれ変わる星シバルバへ向けての旅を続ける。3つの時代で苦しむ男の、生と死と愛の物語。
(2006年 アメリカ)
【まさに、生と、死と、愛のストーリー】
製作時に紆余曲折があり、必ずしも監督が考えていた通りの仕上がりにはならなかったようだ。そのせいか終盤はかなり観念的になってしまったが、それがかえって“読み取り”を促す内容へとつながった。
脳の中身に異常なまでの興味を示し、独りでぶつぶつ黙々と進む人物を中央に配置する。『π』でも見られたアロノフスキーのパーソナリティは、すなわち「解決を、他者との関わりではなく、自己の中に求める」というところにあるのだろう。知識と生命への執着こそ人の原罪、という、悲観的な価値観も見受けられる。
そんな内向的な物語を、バラバラのピースが少しずつつながっていく、あるいは同じ場面を繰り返すという手法で展開させて、さらに閉じたものへと持っていく。
また、肌の質感までしっかりと捉えるカメラ、刺青が彫られた時期まで表現してしまう美術、多めの人物のアップ(かなりテレビ的な撮りかた)などにより、観るものと登場人物との距離感も縮める。
そこに挿入される、スケールのあるCGと、左右対称や真上からの俯瞰など一点透視的な画面。
つまり、狭くちっぽけに生きる人間が、大きな空間と時間の中で、1つのところへ向かってあがき続ける、という映画だ。
では、僕らが向かう先にあるものとは?
逃れようのない死が、誰の身にも待ち受けている。次に訪れるのは、新しい生。苦しい生が、また始まる。まるでリング(環)のように繰り返される痛みと涙……。
一瞬かぎりの生を支え、死に立ち向かい、次の生へと希望を託すために必要なものこそが、愛だ。リングを「永遠の生」によって“ほどく”行為は、ある意味で愛の否定にほかならない。永遠でないからこそ、進歩なく繰り返されるからこそ、生も、死も、愛も尊いのだ。
生きることと死ぬことに苦しみながら、愛とともに歩み、思いを次へとつないでいく。決して環から抜け出せないとしても。その哀しい足どりは、人の世に生と死と愛が存在した証となるはずである。
浮かんでは消え、次がまた浮かぶという形で作られたエンディング・クレジットからも、そんなテーマが透けて見える。
ここでいう「次の生」とは、なにも生まれ変わりや輪廻だけを指しているわけではない。ひとつの生が終わったとき、遺された者の生は劇的に変わるだろう。その中で自らの生をまっとうするためには、愛(が確かにここにあったと信じられること)が必要だ。
新しい生へ向けて歩き出すこと。それこそが完成されるべき第12章なのである。
そして、いくら自己の中に「新しい生へ向けて歩き出す力」を求めたとしても、その“自己”に影響を及ぼすのは交感=愛する者と関わりあった経験なのである。
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