再会の街で
監督:マイク・バインダー
出演:アダム・サンドラー/ドン・チードル/ジェイダ・ピンケット=スミス/リヴ・タイラー/サフロン・バロウズ/ロバート・クライン/メリンダ・ディロン/マイク・バインダー/リー・アレン/パウラ・ニューサム/カミーユ・ラシェ・スミス/ドナルド・サザーランド
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4
【心の壊れた友と】
妻からの束縛、奇妙な患者、横柄な同僚らに囲まれて息苦しさを覚えている歯科医のアラン。彼はある日、大学を卒業して以来会っていなかった元ルームメイトのチャーリーと再会する。だが9・11で妻と娘たちを失ったチャーリーは完全に心を閉ざし、過去や現実を歪め、死んだ妻の両親とも接触を絶っていた。何か自分にできることはないだろうか。アランは精神科医アンジェラの助けを借りて懸命にチャーリーとの会話を続けるのだが……。
(2007年 アメリカ)
【愛ゆえの苦しみ、愛ゆえの再生】
背景の音をことさら大きく拾い、時おり意識的にフォーカスをボケさせている場面がある。アランやチャーリーが「いまこの場所で、周囲にあるいろいろなものに包まれて生きている」ことと、けれど「確固たる存在として自分を認識できていない」ことが、鮮やかに示される。
チャーリーの部屋の棚にギッシリと詰め込まれたレコードの数々は、懐かしの名盤たち。チャーリーがプレイする『ワンダと巨像』(英題「Shadow of the Colossus」)は、眠り続ける少女の魂をこの世に呼び戻すためにひたすら戦い続けるストイックなゲーム。
チャーリーは、自分の中に流れている(主に楽しかった頃の)時間を自分の近くに引きとめようと、あるいは敵いそうもない相手を打ち破ることで世界に光が差すのを期待するかのように、暗い部屋で、ひとり過ごす。
そして、メル・ブルックスに笑い転げるさなかにも容赦なく襲いかかってくる、人生の現実。
印象的な作りやパーツ、メッセージ性の高い場面がいくつも散りばめられている映画だ。
とりわけ心に残ったのが、アランとチャーリーの位置関係である。コーヒーショップでもソファでも映画館でも待合室でも、彼らは隣り合わせ。同じ方向を見て、同じように苦しむ。
レストランや中華料理店では向かい合わせ、それはすなわち治療。できれば拒否したいが、そこを乗り越えなければ先に進めないシーン、ターニング・ポイントとして“向かい合わせ”が用意されているようだ。
では、哀しみを乗り越えるために必要なものは何か?
もちろん愛だろう。テーマ曲『愛の支配』が歌うように、深い哀しみを洗い流してくれるのは愛だけだ。
いっぽうで、愛ほど苦しいものもない。愛している(いた)からこそ、チャーリーは妻の言いつけ通り自宅では靴を脱ぐことを徹底し、リフォームを繰り返す。その存在を忘れたふりをしていても、家族はチャーリーの中で、愛ゆえに生き続けているのだ。アランもまた家族を愛しているからこそ、本来そこにあるはずの自由を求めて苦悩するのだろう。
思い出を大切にし、写真を真正面から見つめ直し、「ただのキッチン」と過去を突き放したうえで愛を再確認することも確かに大切だが、そうすることが苦しいのも、それができなくて苦しむのも、また愛があるからこそなのである。
ひとまずはチャーリーもアランも、チャーリーの妻ジャニーンもドナ・リマーも、自分以外に“愛ゆえに苦しむ人”がいることを知った。その“気づき”は自分自身を苦しさから救い出すための一歩となるだろう。
そんな、愛ゆえの失望と落胆と思いやりと再生の兆しとを、静かに描いた秀作である。
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