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2009/08/03

厨房で逢いましょう

監督:ミヒャエル・ホーフマン
出演:ヨーゼフ・オステンドルフ/シャルロット・ロシュ/デーヴィト・シュトリーゾフ/レオニー・ステップ/マックス・リュートリンガー/マンフレッド・ゼパトカ/エルフリーデ・イラール

30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3

【料理人の恋】
 作ることと食べることにしか興味なしという巨漢の料理人グレゴア。その腕は超一流で、3つしかテーブルのないレストランは数か月先まで予約で一杯だ。あるとき彼は、ビアホールで給仕として働くエデンに恋をする。偶然にもふたりの距離は縮まり、エデンは娘レオニーとたびたびグレゴアの厨房を訪れるようになるが、彼女は人妻、彼女が惹かれているのはグレゴアではなく彼が作る料理。その逢瀬をエデンの夫クサヴァーが知り……。
(2006年 ドイツ/スイス)

【鮮やかな作りで描く、関係の真理】
 料理という“仕事”の中に同居・内在する無邪気な残酷さとアートとをいきなり示し、目を釘付けにするオープニングが見事。以後も、観る楽しさが連続する。
 見た目の美しさがあるアーティスティックな絵柄とか、凝った画面作りだとか、視覚的な楽しさという意味ではない。
 セリフ(音声)なしの引きの画角、逃げていく若者たちの後姿、フレームの外で触れられる手と手……。何をどう撮り、何をうつさないか。その選択によってもたらされるテンポと情感がいいのだ。見せる、見せない、聞かせない、想像させる、感じ取らせる、そんな、味のある作り。

 ストーリー・テリングも面白い。“すっ飛ばし”の妙があったり、まず事態を起こしておいてから説明したり、物語の視点をグレゴアからエデン、さらにはクサヴァーへと大きく揺さぶったり。そして、あっと驚くクライマックスへと畳み込んでいく。各場面に乗っかる音楽も適確。
 見せかたも語り口も大胆で、かつ上手さのある映画だなぁ、というのが素直な印象だ。

 その鮮やかな作りの中、エデンの後ろに立っている姿だけで“想い”を表現してしまうグレゴア役ヨーゼフ・オステンドルフが上等。ときに生き生きと動き、ときにズップリと「いたたまれなさ」や「どうしようもなさ」へとハマリ込む様子が、キモ愛らしい。
 エデン役シャルロット・ロシュの、ちょっと擦り切れた感のある色気と美しさも印象的だ。ドイツのテレビでトークショーの司会として活躍してきた人らしいが、なるほど、知性と、「この人、どこまで狙ってやっているんだろ?」的な、スルスルと相手の痛いところへ突っ込んでくるSの風味が可愛らしい。

 描かれているのは、ある人とある人の関係における、始まりと途中経過と結果、といったところだろうか。

 あらゆる関係の始まりは“欲望”なのかも知れない。自らの腹を満たすという欲求に駆られたグレゴアは、必然的に料理の道へ走り、料理という行為と蜜月の関係を結んだ。次の子どもが欲しいと願うエデンは、グレゴアの料理と出会い、彼や夫との関係において新たなスタートを切った。欲望が契機となり、関係は作られたわけだ。

 料理には相手が必要、ということも語られる。作る・食べるという相手関係があってはじめて、料理は完結するのだ。この点については『マーサの幸せレシピ』でも述べた通り、至極納得の論理。

 ただし「作ったものを食べていただく」行為・スタイルが、人間関係の完結型ではないと本作は説く。それはあくまで経緯・途中経過・形式にすぎないのであって、各自の人生において相手がどのような重みを持つのか、いわば始まりと途中経過の先や裏にある“結びつき”こそが大切、というメッセージが漂う。

 なぜ料理を作るのか。食べさせたいからだ。なぜ食べさせたいのか。喜ばせたいからだ。なぜ喜ばせたいのか。好きだからだ(あるいは喜んでいる顔を見ることが幸せだからだ)。
 そんなふうに、人と人の関係+行為について考えさせる秀作である。

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