ブラック・スネーク・モーン
監督:クレイグ・ブリュワー
出演:サミュエル・L・ジャクソン/クリスティナ・リッチ/ジャスティン・ティンバーレイク/S・エパサ・マーカーソン/ジョン・コスラン・Jr./デイヴィッド・バナー/マイケル・レイモンド=ジェームズ/エイドリアン・レノックス/キム・リチャーズ/ネイムス・K・ウイリアムス/サン・ハウス
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4
【その鎖は、うめき声に立ち向かうため】
愛するロニーが入隊し、ひとりになってしまったレイ。彼女は沸き上がってくる欲望を抑えられず、夜ごと男を漁り、やがて道端に捨てられることとなる。レイを拾ったのは、弟に妻を寝取られた農夫ラザラス。不器用な彼は幼馴染の牧師RLらの助けを借りながら、レイを立ち直らせ、自らも前へと進むため、1本の太い鎖を持ち出す。それはラザラスとレイの心の中に巣食う“黒いヘビ”のうめき声に立ち向かうのに、必要なものだった。
(2006年 アメリカ)
【関わって生きていこう、という覚悟】
全編に渡って印象的なセリフに満ちている。
「できると信じなきゃ うまくいかない」
「人を傷つけても 悔いれば許されちゃうわけ?」
「みんな天国のことを気にしすぎだ」
「勇気をかき集め 君の人生を生きるんだ」
それらは人々の中で繰り返される“どうやって生きていくか”という自問自答への、揺らぎであり、答えである。
序盤、ラザラスやレイの日常を“切り取る”形で話を進めつつ、後に意味を持ってくる事柄をこっそりと潜ませ、中盤からは出来事を“展開”させていきながら、撒いておいた種を“回収”する。その立体的な構成が見事だ。
遠近取り混ぜた絵づくりは、背景に気持ちよく人物が乗っかり、南部らしいベタっとした温度・湿度も感じさせる。ヘビの舌なめずり、吠える犬、太い鎖、雷鳴、ブルースと、音関係も豊か。
そして、主役ふたりの好演。サミュエル・L・ジャクソンは不器用だが一途なオヤジを大きく演じ切り、クリスティナ・リッチは性依存症の女性を体当たりで表現、新境地を拓く。どちらも役柄との一体感が素晴らしい。
しっかりした作り、しっかりした芝居、それゆえに前述の各言葉や、そこに込められたテーマ性なども強く迫ってくるのだろう。
ブラック・スネーク・モーン=“黒ヘビのうめき”を誰もが心に抱えている。不幸な体験。してはならない開き直り。焦って口を滑らせ、自分を抑えられず、失敗ばかり。理解されない、理解できない、という孤独を望まずに募らせてゆき、孤独に責められる。それが人だ。
だからこそ人は誰かとの関わりを求める。人と人との関わり・関係、その前提にあるのは、孤独なのだ。
が、関わりの中でつかむべきものは、刹那的な癒しではない。結局のところ必要なのは、自分自身の強さ。“どうやって生きていくか”という自問自答に対し、揺らぎながらも一応の答えへと辿り着き、信じて生きていく強さを持たなくてはならない。
それは自暴自棄な生きかたより苦しいものかも知れない。それでも力を得るために、君と関わり、ともに幸せを願い探そう。あの鎖は束縛するためのものではなく、本当の意味で“関わる”ことに対する覚悟の表れなのだ。
きっと大丈夫。できると信じれば、うまくいく。勇気をかき集めて、君の人生を生きることはできる。
依然として人は弱く、たびたび不安に襲われ、明日をも知れぬ生きものではある。が、とにもかくにも「関わって、生きていこう」という覚悟から、新しい何かは始まるのである。
舞台も作りもまったく異なるのに『サマーウォーズ』と同じテーマを孕んだ映画、ともいえるだろう。
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