アメリカン・ギャングスター
監督:リドリー・スコット
出演:デンゼル・ワシントン/ラッセル・クロウ/キウェテル・イジョフォー/ジョシュ・ブローリン/ライマリ・ナダル/テッド・レヴィン/ロジャー・グエンヴァー・スミス/ジョン・ホークス/RZA/ユル・ヴァスケス/マルコム・グッドウィン/ルビー・ディー/ルーベン・サンチアゴ・ハドソン/カーラ・グギーノ/ジョン・オーティス/キューバ・グッディング・Jr/アーマンド・アサンテ/リッチー・コスター/イドリス・エルバ/コモン/ティップ・ハリス/ロジャー・バート
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4
【麻薬王と捜査官】
ベトナム戦争と経済の変革、2つの混乱に見舞われていた60年代末のアメリカ。黒人ハーレムでは、ベトナムから直接仕入れた高純度のヘロインを低価格で捌くことで、フランク・ルーカスがのし上がっていく。いっぽう麻薬の氾濫と警官の汚職に悩まされていた当局は、麻薬取締局を設置、職務に対して潔癖かつ忠実なことから同僚に疎まれていたリッチー・ロバーツがチーフとなる。大物逮捕のための捜査は、徐々にフランクへと迫っていく。
(2007年 アメリカ)
★ややネタバレを含みます★
【これは、僕らの生きる世界】
フランクとリッチー、それぞれの日常を切り取って見せるような作り。だが決して「出来事の羅列」には陥らない。
フランクは、時に非情で、時に優しく、浅はかな自分に愕然とする姿も見せる人物として、リッチーは、身勝手さと責任感、諦観と潔癖さとを併せ持って生きる男として描かれる。
事件と人物と時代背景を上手にミックスしながら提示し、ギャングたちの写真が貼られたボードが後に意外な使われかたをするなど立体的な構成の妙もあって、なかなか重厚なストーリー/シナリオだ。
脚本は『シンドラーのリスト』や『ブラックホーク・ダウン』、『ザ・インタープリター』、『オール・ザ・キングスメン』などのスティーヴン・ザイリアン。社会性とエンターテインメント性の両立に長けた書き手、ということなのだろう。
出演陣も、さすがに上々。麻薬王でありながらどこか“ハスっぱ”なところを残すフランクを好演するデンゼル・ワシントン、無骨でいかにも刑事にしか見えないラッセル・クロウ、ともに安定感たっぷりだ。
が、この主演ふたり以上の存在感を示したのが、フランクの母を演じたルビー・ディー。もう“ザ・ママ”とでもいうべき表情と発声が印象的だ。
演出/作りにもキレがある。ファミリーの描写から一転、血なまぐさい場面へと叩き込む衝撃。突入時のスリル。アメリカの暗部を描いた映画だと告げるべく、全編をアンダー気味に撮るプランニングもうかがえる。
感心したのは、多くの兄弟、ギャング、警官らが登場して「外国人の顔はみんな同じに見える」という人にとっては厳しいスケールの話であるにも関わらず、フランクとリッチー、あとはせいぜいトルーポ刑事とコルシカ・マフィアの首領ドミニク・カッターノさえ見分けがつけば「何となくわかる」という構成・展開・描写となっていること。
たとえばカッターノの甥でリッチーの友人でもあるジョーイ・サダーノを登場させるのは決まってダイニング、フランクの従兄弟ネイトはバンコクのバー、フランクと敵対関係にあるヤツはそうとわかるような言動、と、かなり描写が整理・配慮されているように感じた。
トータルとして、隙がないだけでなく、なかなか格の高い映画に仕上がっているといえるだろう。
それにしても「家族ぐるみで悪事」という価値観って、いったい何なのだろうか。2~3人ならともかく、あんなに大勢で。時代や、フランクが黒人であることも含めて考えると、これこそがタイトル通り「アメリカン」な姿ということか。
ただフランクにしても、己が“是”だとは考えていなかったはず。成功する(または我を貫く)ことで敵を作るのは当然として、それ以前に「何かに対して一心不乱になることで失うものの大きさ」も理解していただろう。リッチーにも同じことがいえる。
だからこそ彼らは、取られた家具を再現したり親権を争ったり、大切なものを“引き留める”ことに懸けるのだ。
そのふたりの生きざま=2つのストーリーを平行して描き、最後にクロスさせ、追う者と追われる者という関係ではなく、同時代に同じ世界で生きる者という関係に収束させた点が(史実らしいが)本作の味。
また、わざわざタイ/ベトナムの場面も作り、この悪党と世界が地続きでつながっていることを示す。ラストでは閉じられたシャッターとヒップホップに、当時と現在とが、隔絶と連続性との中間で危うくつながっていることも感じさせる。
そして、いまだ戦争も犯罪も麻薬も根絶されない世界に生きるわれわれは撃たれるべき存在だとアピールするかのようなラスト。
フランクとリッチーだけではない。世界中の誰もが、悪に対して無関係ではなく、同じ世界で生きる存在であることを教えてくれる映画である。
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