ハリー・ポッターと謎のプリンス
監督:デヴィッド・イェーツ
出演:ダニエル・ラドクリフ/ルパート・グリント/エマ・ワトソン/ボニー・ライト/ジェームズ・フェルプス/オリバー・フェルプス/ジェシー・ケイヴ/イヴァナ・リンチ/マシュー・ルイス/アルフィー・エノク/デヴォン・マーレイ/ジョージアナ・レオニダス/フレディ・ストローマ/アンナ・シェーファー/マーク・ウィリアムズ/ジュリー・ウォルターズ/デヴィッド・シューリス/ナタリア・ティナ/ジム・ブロードベント/ロビー・コルトレーン/マギー・スミス/ワーウィック・デイヴィス/デヴィッド・ブラッドリー/トム・フェルトン/ヘレナ・ボナム=カーター/ヘレン・マクローリー/ティモシー・スポール/デイヴ・レジェノ/フランク・ディレイン/ヒーロー・ファインズ=ティフィン/アラン・リックマン/マイケル・ガンボン
30点満点中18点=監3/話3/出4/芸4/技4
【蘇りし帝王、破壊への序章】
ヴォルデモート復活! ホグワーツ魔法学校も警戒を強めるが、闇の帝王からの密命を受けたドラコと、彼を守るための「破れぬ誓い」を交わしたスネイプが暗躍、校内で犠牲者も出る。奇怪な事件、クィディッチの選抜、片想い、「半純血のプリンス」が残した教科書などに翻弄されるハリーたち。いっぽうダンブルドアはヴォルデモートと縁のあるスラグホーンらから帝王の過去を探り出し、遂に“分霊箱”の秘密をつかむのだが……。
(2009年 イギリス/アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【わかっている作り】
序盤のロンドンでのパニック、「憂いの篩」の中の靄、姿現し、教科書に書き込まれた文字、宙に浮かぶケイティ、鼻の下を伸ばすロン、洞窟の中に仕組まれた罠……。原作を読んだ人がイメージしたものを、そっくりそのままカタチにしてみせる。
もともとそれが映画版『ハリー・ポッター』の大きな魅力の1つであるわけだが、ヴィジュアライズのセンスは今作でも冴え渡る。
見た目、ということなら、いまになってキャスティングの奇跡に対する感謝も沸き上がってくる。
物語が暗くなるのにあわせて、これまでのような焦りや苛立ちではなく静かな怒りを身にまとうようになったハリー=ダニエル・ラドクリフ。ウィーズリー家の男の子らしい調子の良さと長身とマヌケさをストレートに表出させるロン=ルパート・グリント。そして健やかに少女から女性へと変貌(前作よりもかなり可愛くなったなぁ)していくハーマイオニー=エマ・ワトソン。原作をそのまま具象化した3人組の成長が眼に楽しい。思わず親目線にもなってしまう。
ジニーがどことなくハリーの母リリーを思わせる容姿になってきた(これって第7巻のラストを考えると、かなり重要だ)ことも嬉しいし、脇役たちも第1作からほぼそのままで、ひとつの世界を創出するのに貢献している。
単なる“映像化”にとどまらないのも、このシリーズの良さだ。
分厚い原作、腕の悪いライター/ディレクターならストーリーを追うだけで四苦八苦してしまうことだろう。が、性急にも散文的にも詰め込み過ぎにもならないよう、かなり大胆な脚色(というより重要なエピソードの整理)が施されている。
もちろん、1000ページの原作を2時間半にまとめるのだから多少はダイジェスト的になるのは止むを得ない。が、たとえば『スター・ウォーズ』のように次から次へと出来事を畳みかけてワイプでつなぐという手法ではなく、1本の映画としてスマートに、かつ破綻のない構成を実現できるよう配慮されていると感じる。
大胆な整理によって「ひょっとして『半純血のプリンス』ってヴォルデモートかも」といったヒリヒリ感や、少しずつ解き明かされていくトム・リドルの過去を覆う重苦しさは削がれることになったが、観やすくまとまったことは確か。
それに「今回やらなければならないこと」を基準にエピソードを整理することによって、1シーンずつをしっかりと撮れることにもなる。
美術やロケーションにこだわり、多彩なカメラワークを使い分け、スラグホーンの背後でコツコツと鳴る時計の音といったディテールも疎かにせず、各出演者の演技も拾い上げて、ただのダイジェスト・ムービーや“映像化作品”では感じられない、味や緩急を作り出すわけだ。
オープニングでダンブルドアによる庇護を印象づけ、その力が無くなる死のシーンはあっさりとすませる。笑いから悲劇へと一気に持っていく。そういう確信的な構成力が光る。
こういう作りの上手さ、偉大な原作を映画化するにあたってのある種の覚悟のようなものは、第1作から感じていたこと。シリーズを通じて「原作モノのひとつの見本」と思わせる仕上がりが貫かれている、といえるだろう。
とりわけ今回は、スネイプだ。
今作は、確かにダンブルドアの死という大事件は発生するものの、記憶をたどる旅と痴話喧嘩に終始して、シリーズの中でもアクションや“見せ場”の少ない話。これまで重要だった人物たちの扱いも軽く、ヘレナ・ボナム=カーターのようなビッグネームも「出てるだけ」にせざるを得ない。極論すれば「分霊箱の存在が明かされる」というだけの物語だ。
そんな中で今作の存在意義を考えれば、シリーズを通じて得体の知れない人物であり続けたセブルス・スネイプに対する「ああ、やっぱりな」と、その行動の裏に隠された“真実”を匂わせることを置いて、他にない。
その点で、監督もアラン・リックマンも実に立派だった。追ってきたハリーの魔法を跳ね返す、あの表情。「半純血のプリンス」という名にこめられた複雑な想い。校長室へと続く階段でハリーとすれ違う場面では「ここでもセブルスは、ハリーの瞳を真っ直ぐに見ているんだろうな」と思うと、涙が出てきてしまった。
エンドロールで流れる鎮魂歌は、まさしく彼の歌、次回へ向けての序曲であるはずだ。
こうして今作でスネイプをサラリとフィーチャーするあたりも「製作者たち、わかっているな」と感じさせる部分。
さて、そのスネイプが主役ともいえる『死の秘宝』は2部作、完結までまだ2年もあるのか。「わかっているな感」や「原作のエッセンスを上手に整理し、よりわかりやすい作品に再構成する力」という可能性を感じ取れただけに、ずいぶんと長く思われる。
哀しく優しく激しいクライマックスを、ただただ待つとしよう。
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