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2009/08/13

イル・ポスティーノ

監督:マイケル・ラドフォード
出演:マッシモ・トロイージ/フィリップ・ノワレ/マリア・グラツィア・クチノッタ/レナート・スカルパ/リンダ・モレッティ/マリアーノ・リギーロ/アンナ・ボナルート

30点満点中17点=監4/話4/出4/芸3/技2

【友と詩と愛。島での出来事】
 50年代、イタリアの小さな島。漁師である父の仕事は継ぎたくないと考えているマリオが、ようやく得たのは郵便配達の職。とはいえ字が読める者は少なく、届け先はもっぱらパブロの家だ。彼こそは愛の詩人にして共産党の論客、故郷チリを追われて亡命中で、妻とともに島へ身を寄せている英雄だった。パブロとの仲を深め、自らも詩に興味を持ったマリオは居酒屋の娘ベアトリーチェに恋をする。初めての恋心に戸惑うマリオだったが……。
(1994年 イタリア/フランス/ベルギー)

★ネタバレを含みます★

【友に与えるもの、与えられるもの】
 監督は『ヴェニスの商人』のマイケル・ラドフォード。あちらは、立体感と自然光と雰囲気作りの上手さが特徴だったが、本作も同様だ。やや粗い印象も残るが、少ないカットの中で人物や風景を立体的に配置し、誰もが物語の中心になれば背景にもなる、そんな、社会の雑然性というか、寄せ集めの中で輝く自分らしさを、まずまず上手に表現している。

 ただ、本作の脚色に携わり、心臓の病を押してマリオを演じ、完成後に急逝したという喜劇役者マッシモ・トロイージ。彼の芝居こそが、この映画を支える骨となっていることは間違いない。
 もちろん“イタリア人のお芝居”がどういうものかなんてわからないのだけれど、どう観ても素人の、ホントに「純朴で、あまり頭のよろしくない、漁師になりたくない漁師の息子」に思える。立ち姿、体を動かしたり眉を寄せたりするタイミングの絶妙さ、すべてにおいて“役者の芝居”とは異なる方法論で演じているように感じられる。

 そして、彼=マリオがベアトリーチェ(マリア・グラツィア・クチノッタはまさに蝶が羽根を広げたような笑顔で、こちらも適役)に贈った詩を、パブロが読み、「盗作を許した覚えはないぞ」といった際の、マリオのセリフこそが本作最大の収穫。
「詩は書いた人のものじゃない。必要とする人のものだ」
 この、恋する男が心から吐いた、純粋な、驚くべき価値観。ああ、でもこれって創作者にとっては、最大級の賛辞ではなかろうか。

 で、その創作者=パブロにとってマリオは、やはり「大勢の中のひとり」だったのだろう。ただしマリオが、いかにも田舎者で懸命で、他意がなく、政治的な思想とはひとまず無縁で、ひたすら詩とひとりの女性とを愛するシンプルな人物だったからこそ、たとえひとときでもパブロの“友”となり癒しとなり得た、といったところか。
 加えてマリオ自身も「俺が彼に何をしてあげた。むしろ俺の方から頼みごとをしてばかりいた」と、自分の位置をしっかり理解していた。だからこそパブロも彼のためにひとはだ脱ぐ気になったのだろう。

 が、やがてパブロは知る。自分が生涯を捧げた詩と政治、その2つによってマリオが散ったことを。もちろんマリオには、ただ「パブロに向けて何かをしたい」という衝動しかなかったのだろうが、パブロの言葉を「必要としている人」にとって、パブロは、パブロ自身が考えている以上に影響力を持つ大きな存在なのだ。
 その事実にパブロは打ちひしがれ、この先の自分の人生について責任を持とうと決意を新たにしたはずだ
 与える=与えられるという関係が、単なるギブ・アンド・テイクや馴れ合いを超えて、決意を呼ぶ域へと到ることもありうる。そういう事実を描いた映画だろう。

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