サブウェイ123 激突
監督:トニー・スコット
出演:デンゼル・ワシントン/ジョン・トラヴォルタ/ルイス・ガスマン/ヴィクター・ゴイチャイ/ジョン・タートゥーロ/マイケル・リスポリ/ラモン・ロドリゲス/ジョン・ベンジャミン・ヒッキー/アレックス・カルジュスキー/ベンガ・アキナベ/キャスリーン・シギスモンド/ジェイク・リチャード・シシリアーノ/ジェームズ・ガンドルフィーニ
30点満点中17点=監3/話2/出4/芸4/技4
【乗っ取られた地下鉄。犯人と司令室との攻防】
NYの地下鉄。数人の男たちがペラム発123号をハイジャック、2両目以降を切り離し、人質十数人を乗せた先頭車両に立て篭もる。犯人たちが市長に突きつけたのは「1時間以内に身代金1000万ドル。期限を1分過ぎるごとに人質を1人ずつ射殺する」という要求だった。ライダーと名乗る主犯格との交渉役を務めることになったのは、たまたま運行司令室にいた地下鉄職員ガーバー。だが彼は、人に知られたくない秘密を抱えていた。
(2009年 アメリカ/イギリス)
★ややネタバレを含みます★
【パワーとスピードでも前作は超えられず】
1974年に撮られた『サブウェイ・パニック』(ジョセフ・サージェント監督)のリメイク、というか、同じ原作を現代に置き換えて再度の映画化にトライした作品。
前作の感想は「描写するべき事柄の“欠け”で満ちている。が、それがあまり気にならないほどテンポが良く、カチっとしたまとまりも見せる。そして、あのラストシーン」。いわば“野暮ったいけれど衝撃的”とでも呼ぶべき仕上がりだった。
そんな傑作と、どうしても比較したくなる。結論からいえば、前作と似ている部分も多々ありながら前作とは大きな差を持つ映画になった、というところだろうか。
まず強く感じたのは「トニー・スコットって若いなぁ」ということ。
すでに巨匠と呼ばれてもいいキャリアを持つが、おなじみのスコット節は今回もフル・スロットル。バッツンバッツン、がっちゃんがっちゃん、ぎゅいーんぶぅわーんと、ブルーでシャープでスタイリッシュな絵を怒涛のごとく畳み掛けていく。
その神経質なまでの緊迫感とスピードが最大の味。サントラもジョコジョコとけたたましく鳴り響き、B級映画のような「地図っぽく示されるNY」なんて画面も出てくる。若い作りだ。
また、実際の地下鉄を利用した撮影はスケールとリアリティの創出に貢献しているし、セットとして作られた電車やコントロールセンターも雰囲気は上々。市街地の疾走にも豪勢に金と手間ひまがかけられている。
セカンド・ユニットのディレクターはアレクサンダー・ウィット。どこかで見た名前だと思ったら『バイオハザードII アポカリプス』の監督だ。調べてみれば、数々のアクション大作で同様にセカンド・ユニットを率いてきた人物らしい。スピードあふれる画面を監督の要請に応じて作る、こういうプロフェッショナルの存在が、作品にさらなる激しさをもたらす。
激しさとしてのスピード、そしてテンポの良さを重視したいがため、物語の焦点はガーバーとライダーの対峙へグっと絞りこまれた。
この部分では、さすがに老獪なふたり、激しい激突だ。デンゼルはポッチャリと座り、ドタドタと走る。見事に“おっさん”と化した。トラボルタも感情の起伏を自在に操って新しいキャラクターを作り出している。おかげでスピード一辺倒ではなく、一定の重みも付加されているように感じる。
このふたり以外の要素は徹底して排除。
いや、事件のさなかにも他路線は動いていたり、警官たちが懸命に街を走ったりと、多くの人たちが自分の仕事をまっとうしていることはしっかり示される。ジョン・タートゥーロ演じる警部補も出しゃばらない程度に役目を果たし、市長は意外とデキる面を見せ、両人ともなかなかいい彩り。
ただし、それ以上には踏み込まない(たとえばノートPCでチャットするカップルなど人質に関するエピソードやガーバーの上司などは、もっともっとふくらますこともできたはず)。「あるべきなのにない」=“欠け”が生じないよう、はじめから描くことを絞り込んだ整理されたストーリーとなっているのだ。
ほかにも、イマ風のアレンジを施したり、「買って帰るミルク」の会話で夫を案じる妻の想いを上手に表現したりなど、ヘルゲランドによる脚色は総じてスマートだといえるだろう。
こうして本作は、激しくスピーディでスマートな映画として完成。野暮ったい中に渋さや落ち着きのあった前作とは、少し様相を異にする。
が、物語の終盤で決定的な差(違いではない。これはもう“差”だ)が生まれる。
誰が死のうが、誰が生き残ろうが、この際関係ない。前作も今作も「結局悪いことはできないよ」というまとめで共通しているともいえる。ただ、エンドクレジットを迎えたとき観客に残る“後味”には決定的な差がある。
前作のラストカットは、観た者のまぶたに永遠に焼きつくほど強烈なものだった。いっぽう今作は、ガーバーとライダーの“お芝居映画”的な空気があり、前作以上に「このふたりの間に何か特別なことが起きるかも」と思わせる描きかたなのに、(ある意味では)何も起こらず終幕を迎えるのだ。
いや、それはちょっと違うだろう。“何か”を起こさないと、前作は超えられないだろう。
仮に「何も特別なことが起こらないラスト」にするにしても、たとえば「収賄について否定したガーバーがライダーに侮られる→ラストで罪を告解する勇気を見せてライダーを撃つ」とか、あるいは「実は計画が上手くいかないことを心のどこかで覚悟しているライダー」とか、「同じような立場に思えて、家族のいるガーバーと孤独なライダーとでは価値観がまったく異なる」とか、そういう描写/展開があってはじめて、この「何も起こらないラスト」が生きてくるんじゃないだろうか。NYを救ったと称えられるが、実は誰も救われていないという皮肉な結末も光るんじゃないだろうか。
どうも、ライダーとガーバーの動機や行動規範が曖昧にすぎる。必要のないものを削除したら、本当に必要なものまで削り取られてしまった、という感じだ。
トータルのデキとしてはそんなに悪くない。むしろ前作よりグレードアップしている部分の目立つ仕上がりだ。けれど、ヒネリの利かせかた、悲壮感と爽快感のシニカルなミックス、観た後の衝撃度や満足感においては、圧倒的に前作のほうが上。
そう感じさせる“2本目”である。
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