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2009/09/29

マイ・ブルーベリー・ナイツ

監督:ウォン・カーウァイ
出演:ノラ・ジョーンズ/ジュード・ロウ/デヴィッド・ストラザーン/レイチェル・ワイズ/ナタリー・ポートマン/フランキー・フェイソン/マイケル・メイ

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3

【恋に破れた彼女の、ロング・ジャーニー】
 NY、ジェレミーの経営するカフェ、店名は「鍵」を意味するクローチ。恋に破れたエリザベスは別れた男を想って涙を流し、いつも売れ残るというブルーベリー・パイを口にして、夜の街に消える。何とかエリザベスの居場所を突き止めようとするジェレミーだったが、彼女は各地のレストランやバー、カジノで働きながら、酔いどれの警官、その元妻、ギャンブラーたちの人生を見届け、ジェレミーに手紙を書き続けるのだった。
(2007年 香港/中国/フランス)

【あなたがあなたである理由】
 手持ちカメラのブレやコマ落とし、スローなどを頻繁に用いて“雰囲気で押す”ような作風は、正直、あまり好きではない。だが、その神経質な作りの中に不思議な気だるさと湿度を漂わせ、1つの心地よい世界を作り出せることが、この監督が支持されている由縁なのだろう。
 あのキス・シーンも、あざといけれど、「これやりたかったんだ」というパワーが感じられて、意外と好きだ。

 ノラ・ジョーンズ自身が歌うテーマ曲『The Story』やライ・クーダーによる音楽、粒子感たっぷりなダリウス・コンジのカメラ(『ザ・インタープリター』『ウィンブルドン』など)、ウィリアム・チャン(『ディバージェンス-運命の交差点-』)の美術・衣装がガッチリとその世界観を支えているわけだが、より印象に残るのが主要キャスト5人の演技だ。

 ノラ・ジョーンズはキュートであるばかりでなく、その眉間には、お芝居初挑戦とは思えぬような(あるいはシロウトだからこそ発散できる)、まだ何者でもないエリザベスにピッタリの“ふわり感”が満ちている。
 ジュード・ロウは、確かにカフェのオーナーだと感じさせる、大雑把だけれどこなれた身のさばき。デヴィッド・ストラザーンは確実に酔っ払い、レイチェル・ワイズは疲れ果てた生身の女性を演じ切る。

 で、ナタリー・ポートマン。視線の動かしかたとか間の取りかたが、なんとなく故ポール・ニューマンに似ていると感じたのは気のせいだろうか。つまり、役柄を考え抜き、そこに感覚的なものを付け足して、精一杯に「演技しよう」という、決意のようなものをうかがわせる芝居。
 もともとお気に入りの女優(『終わりで始まりの4日間』とか)だったけれど、ますます好きになってしまった。オレにくれ。

 さて、あまりに“雰囲気ふわり”が強すぎるせいか評判は芳しくないらしいけれど、意外に面白いというか、詰まっている映画だよな、と思う。
 別れる、店を開く、捨てずに取っておく、酔いつぶれる、酒を飲まない、旅立つ、賭ける、信用しない……。さまざまな行為が描かれ、その理由・動機についても説明・描写されるのだが、「どれも実はたいした理由・動機じゃない」ってところがキモ。
 そう、人間(特に僕たち小市民)の生きざまの“なぜ”なんて、あってないようなものなのだ。理由や動機がどうあれ、何かを経験し、どこかで何かを見て、帰りたいところへ帰る、それだけの話なのだ。

 誰も注文しないが、そこに理由はない、と、捨てられてしまうブルーベリー・パイ。でもいっぽうで「理由はともかく、誰かに食べられる」という夜だってある。人生なんてきっと、そういう「ただ起こった」ことの積み重ねでできているんだろう。その積み重ねが、間違いなく“その人”を作っていくのだとも感じる。

 ちなみに私自身は、ブルーベリーの入ったものは一切、口にしない。とりたてて美味しいと思わないから。あとエビチリとか獅子唐とかも。
 まぁ堅いことをいわずに食ったっていいし、食べようと思えば食べられるんだけれど、理由はどうあれ食べないというのが、私自身なのである。

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