魔法にかけられて
監督:ケヴィン・リマ
出演:エイミー・アダムス/パトリック・デンプシー/ジェームズ・マースデン/ティモシー・スポール/イディナ・メンゼル/レイチェル・コーヴィ/スーザン・サランドン
声の出演:ジュリー・アンドリュース/ジェフ・ベネット
30点満点中16点=監4/話2/出3/芸4/技3
【お姫様、ニューヨークへ】
アンダレイシアの森の中、動物たちと楽しく歌い暮らすジゼル。トロールに襲われた彼女は白馬の王子エドワードに救われ、翌朝、ふたりは結婚することに。だがエドワードの継母であるナリッサ女王は玉座を奪われることを恐れ、ふたりが“真実の愛を確かめあう口づけ”を交わす前に、ジゼルを井戸へ突き落とす。彼女が辿り着いたのは、現代のNY。弁護士ロバートと娘のモーガンは、偶然にも彼女を助けて面倒を見ることになるのだが……。
(2007年 アメリカ)
【自己完結しちゃっている点が不満】
なんとディズニーによるセルフ・パロディ。『シンデレラ』や『白雪姫』などからの引用をドッサリと盛り込み、リスや小鹿が跳ねる。音楽には『美女と野獣』や『アラジン』でオスカーを獲得したアラン・メンケン、ナレーションにはジュリー・アンドリュースを起用と本格的でもある。
作りも、いかにもディズニー。アニメ・パートでは、各キャラクターが凄まじいまでの「眼の演技」を見せる。実写部分では、適確に、軽快に、楽しく、CGをふんだんに使いながらの展開だ。
とはいえ、突然歌い始めるヒロインを笑ってみせるなど思った以上のヒネクレ度だ。
たとえばキャスティング。まぁ出てくる男女に華のないこと。別にエイミー・アダムスが悪いというわけじゃないけれど、本気で“歌うお姫様”を再現しようと思えばエミー・ロッサムかアン・ハサウェイじゃないか(歌えるのかな?)。ジェームズ・マースデンは突っ走りすぎの王子で品格ゼロ。それぞれのキャラクター設定も、おマヌケ。
もちろん、そのあたりは“狙い”なんだろう。夢の王国だからといってスマートな男女ばかりじゃないってことだ。そこに「そのへんのオッサン」であるパトリック・デンプシーが絡んで、ますますファンタジックな空気は薄れていく。
加えて、NYでも動物と会話するジゼル、でも集まってくるのは小汚いネズミとゴキブリ、シンプルな愛、複雑だからこその生、ひとめぼれの愚かさとプロポーズしないことの愚かさ、赤ずきんによって捻じ曲げられたストーリー、心の持ちようによってどこでもワンダーランドになること、純真さ、怒り……と、作品に込められた主張は夢(ドリームまたはファンタジー)と現実(リアル)の間を激しく行き来する。
まるで、健やかに生きていくためには夢と現実のバランスこそが大切だとでもいうように。
全体として面白い試みであり、ディズニーだからできたこと、ディズニーだから意義のあったこととも思えるのだが、どうにも居心地が悪い。たぶん夢と現実のバランスを取ろうとするあまり、ファンタジーに内在するある種の“軽さ”や無条件に信じられる夢を否定するニュアンスが出ちゃったせいだろう。
まぁ考えてみれば『メリー・ポピンズ』だって「現実と上手に付き合っていく方法」を描いていたわけだし、『ウォーリー』をはじめとするピクサー作品にも現実社会へ向けての教訓や警告がこめられている。
が、本作は特に他のディズニー作品よりもそうしたリアルの色合いが強く出ていて、必要以上にファンタジー部分と鬩ぎあっているのだ。
う~ん、そういうバランス感覚って、観客自らが責任を負うものじゃないだろうか。リアル9:ドリーム1の現実世界で生き、その1が心もとなくなったときに、ドリーム9:リアル1のディズニー作品で希望をもらったりしながら。
なんだかディズニーがドリームの自家中毒を起こさないように作った映画のような気がして、そのあたりにちょっとムズガユさを覚えるのである。
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