ダーウィン・アワード
監督:フィン・テイラー
出演:ジョセフ・ファインズ/ウィノナ・ライダー/デヴィッド・アークエット/タイ・バーレル/ジョシュ・チャールズ/ケヴィン・ダン/ノーラ・ダン/ジュダ・フリードランダー/ルーカス・ハース/トム・ホランダー/ブラッド・ハント/ジュリエット・ルイス/ジュリアナ・マーグリーズ/ティム・ブレイク・ネルソン/アレッサンドロ・ニヴォラ/クリス・ペン/マックス・パーリッチ/D・B・スウィーニー/ロビン・タネイ/ウィルマー・バルデラマ/リッチモンド・アークエット/ローレンス・ファーリンヘッティ/メタリカ
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【人は何故、愚かな死へと至るのか】
連続殺人犯を取り逃がして警察を解雇されたプロファイラー、マイケル・バロウズ。彼の最大の興味は「愚かな死にかたをすることで、人類から愚かな遺伝子を抹殺した」人に与えられる『ダーウィン賞』。バロウズは自身の研究と経験を保険会社に売り込み、職を得ようとする。奇妙なケースばかり扱う保険調査員シリ・テイラーと組むことになった彼は、全米各地を回り、保険請求に潜む“愚かな死に様”を調査することになる。
(2006年 アメリカ)
【愚かな死などない、人が愚かなのだ】
CGなどはちゃっちいし、撮りかたはタイト、編集も乱暴。小さい映画ともいえる。が、学生の卒業製作という体裁を取ることで小ささにエクスキューズをもたせてあり、同時にその小ささが身近さをもたらし、メタフィクション的な作りが観客に思考を強いることにもなる。
で、身近に感じ、考えることになるのが、死について。
まぁ同情できないバカな連中、自業自得で命を落とす人たちがワンサカと登場する。でもそれをただ笑い飛ばすのではなく、愚行と勇気とはほぼ同義語だ、と持っていくのが本作のベクトルだ。
確かに、よくいわれる「最初にナマコを食べた人」じゃないけれど、人類の歴史や文化が“愚行と紙一重の勇気”によって切り拓かれてきたのは疑いようのない事実。成功すれば賞賛、失敗すれば死、その境界線を運よく潜り抜けてヒーローとなった者も、世界には多いはずだ。
バロウズが血液恐怖症=死を直視できないというのもポイント。周囲は彼を嗤い蔑むが、多くの人が死から目を背け、自分と死は無縁だと理由もなく信じて生きているのではあるまいか。
幸いにも僕らは本作の登場人物のような行為(窓ガラス、自動販売機、ロケット・カーのエピソードは実話らしい)に走ることはないが、だからといってこの先、愚かな死に様を迎えないとは限らない。だって、自分は彼らほど愚かじゃないと信じている時点で、もう愚かなのだから。
それに、どれほど用意周到・準備万端に迎え撃とうとしたって、人の思惑を超えたところから死はやってくる。あるいは「死の回避策」そのものが死をもたらしたりもする。しょせん、死とは防ぎようのないものなのだ。
ならば、真っ向から死を直視した“彼ら”に、バロウズが憧れに似た感情を抱くのも無理のない話かも知れない。「彼らには想像力があった」というバロウズの論には激しく同意したいところだ。
とはいえ、やっぱり彼らはヒーローなんかじゃない。ただ、彼らしかやらない愚行で死に至ったわけでもない。
そもそも人は愚かな生き物。それが真理なんだと、思う昨今である。
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