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2009/10/05

紀元前1万年

監督:ローランド・エメリッヒ
出演:スティーヴン・ストレイト/カミーラ・ベル/クリフ・カーティス/ジョエル・ヴァーゲル/アフィフ・ベン・バドラ/モー・ジゼル/ナサニエル・バーリング/モナ・ハモンド/マルコ・カーン/リース・リッチー/ジュニオール・オリファント/オマー・シャリフ(ナレーション)

30点満点中15点=監3/話1/出3/芸4/技4

【奪われた最愛の人を追って、戦士は行く】
 氷原でマナクを駆る部族、ヤガル。行き倒れていた青い瞳の少女エバレットに触れた巫母は「四本脚の悪魔が来る。だが戦士が現れ、この少女と結ばれて我らを未来へ導く」と予言する。時は経ち、村は謎の騎馬集団に襲われてエバレットらを連れ去ってしまう。エバレットに想いを寄せながら、いまだ“白い槍”を受け継ぐ勇者になれていないと悩むデレーは、エバレットを取り戻すべく、リーダー格のティクティクらと長い旅に出るのだった。
(2008年 アメリカ)

【面白くしようという意志がない】
 舞台は大昔、恐らくは南ヨーロッパからアフリカにかけての物語。であるにも関わらず英語を喋っているのはハリウッドの常套(だからこそ『アポカリプト』の特異性が際立つ)、まぁ許そう。非ネイティヴの発音で“異世界っぽさ”を出そうという努力も見られるし。
 氷原からいきなりの熱帯、さらに荒野、そして砂漠というトンデモ気候変化も「そういう時期だったんです」ということで許容範囲。トラのエピソードとかオカルトじみている点とか、多少の強引さもご愛嬌だ。

 ただ、これら中レベルのアイディアの先にある小レベル=ディテールと、前提部分となる大レベル=「そもそも何をやりたかったのか」のところが詰め切れていない。

 まず、主役デレー、それを演じるスティーヴン・ストレイト(野暮ったいコリン・ファレルっていうイメージ)に華がないのが痛い。キャラクターとしての魅力がなく、見た目もその他大勢と同じ、たいした成長ドラマがあるわけでもなく、映画の中に埋没してしまっている。
 デレーと周辺人物、あるいはバクとトゥドゥの交流も舌っ足らず。敵キャラクターも掘り下げ不足。ラスト、エバレットの生死の処理も「なんじゃそりゃ?」という感じ。
 巫母がデレーらとシンクロしている様子をわざわざナレーションで解説するなど、全体的に「出来事・事実をセリフに頼って説明しすぎ」という点も大きな傷となっている。
 つまり、お話として浅い

 演出的にも目新しさはなく、スローで誤魔化したりもしている。「面白くしよう」という意志も、「こんなものを作りたい」という熱意も感じられない仕上がりだ。
 見どころは、脚に絡まった網を振りほどくマナクなど細かな挙動までしっかり描き込んだCGと、ロケーション、シャープな撮影、あとはタレ目美人のカミーラ・ベルくらいだろう。

 私的改善案は、以下の通り。
 デレーの父が活躍する狩猟シーン~その帰路でエバレットを発見~予言~デレーの父の出奔までを20分の序章、デレーとエバレットの恋~なかなか一人前になれないデレー(マナク狩)~襲撃までを30分の第二部、小規模な交戦+各部族との交流+悩みながらも成長していくデレー+捉えられたエバレットらの様子を描く40分の第三部、そして30分程度のクライマックス、という流れを作る。
 かつ言語は架空のものとし、予言は常に壁画で示されたり(デレーは赤い星、エバレットは青い目など主要人物は象徴的なアイコンで図示する)、終盤の交渉もシンプルなものにして、全体に“見てわかる”ものにする。
 これで現状より100倍は面白くなると思うのだが。

 まぁ「風呂敷を広げるだけ広げて畳むのは苦手」なエメリッヒだから当然の仕上がりなのだが、今回は「自分がどんな風呂敷を広げようとしているのかわかっていない」という印象すら残る作品だった。

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