CODE46
監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:ティム・ロビンス/サマンサ・モートン/ジャンヌ・バリバール/オム・プリ/デヴィッド・ファーム/タロー・シェラバヤニ/シェリー・キング/エシー・デイヴィス/アーチー・パンジャビ/ナビル・マサード
30点満点中18点=監4/話4/出3/芸3/技4
【管理社会で出会ってしまった、男と女】
人工授精やクローン技術が発達し、妊娠・出産は“CODE46”によって完全に統制されている近未来。都市の内外はキッパリと隔てられ、都市間の移動には“パペル”と呼ばれる許可証が必要となっていた。偽造パペルを調査するため上海へと赴いたスフィンクス社のウィリアムは、そこで「誕生日のたび同じ夢を見る」というマリアと出会う。彼女こそが偽造犯と知りながら、マリアに惹かれるウィリアム。その邂逅は運命だったのか?
(2003年 イギリス)
★ややネタバレを含みます★
【愛って何なのか?】
ある意味で『ダーウィン・アワード』と関連の深い作品。あちらは「愚かな死=後世に妙な遺伝子を伝えないことに貢献した」というジョークが発端となった映画だったが、こちらは「遺伝子に基づく管理」をすっかり実現させた社会が舞台だ。
また肌ざわりの冷たさとテーマ性を考えれば『ガタカ』にも近い。あちらと同様「管理社会の中で、それでも抗う、という生きざま」を描いている。
タイトルともなっている“CODE46”、その源にある遺伝子科学や、それによって確保される安全、記憶のプリントなど、SFマインドにあふれた小ネタ満載。特に「特殊な才能を得られるウィルス」というアイディアが秀逸だ。
いっぽうで、幾何学的なデザインの建物や砂漠などそれっぽいロケーションを用意しつつ、現代的格差社会に通じる描写も取り入れ、舞台となる世界が僕らの生きる場所と地続きであり、時間的には延長線上にあることを意識させる。
加えて激しい明滅、陰影たっぷりの撮影で、悪夢のような寂寥感を創出。都市部に登場する娯楽といえば、退廃的なカラオケ・バー。そこに開放の気配は感じられない。近未来ディストピアが、目の前に広がる……。
で、『ダーウィン・アワード』にも『ガタカ』にも、わずかながら希望の芽を感じられたのだが、本作は希望と絶望との間をゆらゆらと行き来する。
パペルとはすなわちペーパー。紙切れ1枚で人を統制することなど不可能なはずだが、その1枚に人は群がり命を賭け、そんな、まさに『ダーウィン・アワード』的な無謀さは未来でも絶えないようだ。
ラスト近く、ウィリアムに愛をささやくマリアの表情からは、血のつながりが、あるいは想いの共有が、科学(ウィルスの働き)すら克服する力を持つこともうかがえる。だが「そもそも愛情って、ひょっとすると“人と人との遺伝子的な距離”がトリガーとなって発動するもの、つまり、科学で割り切れるものなのかも知れない」という思いも浮かんでくる。
そして、辿り着くのは絶望。科学とシステムの中に取り込まれていく人という種の、絶望的な未来が、ここにある。
とりわけ恐怖を覚えるのは“記憶の消去”だ。使い古されたアイディアではあるが、「何かがない」というショッキングな叫びが、絶対に失くしてはならないものを失くしてしまうことに対する恐怖を、あらためて実感させてくれる。
さらに、その恐怖を恐怖と思わず受け入れる価値観の持ち主(ウィリアムの妻)の存在が、恐怖を倍化させる。
SFであると同時にラブ・ストーリーでもある本作。“愛”という崇高なものを、科学で管理し、けれど管理し切れない事実を示し、そこに「人の愚かさと、愚かさゆえの豊かさ」を感じさせ、それをまた科学で否定したり分析したりして、そして「都合の悪いことは、なかったことにしてしまいましょう」という残酷さで締めくくる。
考えると、“愛”がちょっと怖くなる映画である。
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