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2009/10/29

8mm

監督:ジョエル・シューマカー
出演:ニコラス・ケイジ/ホアキン・フェニックス/ジェームズ・ガンドルフィーニ/ピーター・ストーメア/アンソニー・ヒールド/クリス・バウアー/キャサリン・キーナー/マイラ・カーター/エイミー・モートン/ジェニー・パウエル/ジャック・ベッツ

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【スナッフ・フィルムの真実】
 妻と幼い娘を家に残し、各地を飛び回る私立探偵のトム・ウェルズ。ある大富豪の未亡人から依頼された今回の仕事は、金庫に収められていた8mmフィルムの謎を突き止めること。そこには少女が殺害される現場が記録されていた。作り物なのか? 本物の殺人を撮影した“スナッフ・フィルム”なのか? だとしたら被害者は誰で、何のために作られ、なぜ名士と呼ばれる人物の金庫に入っていたのか? ウェルズの調査が始まる。
(1999年 アメリカ/ドイツ)

★ややネタバレを含みます★

【前後半のバランスは悪いが、意味を持つ作品】
 いかにもシューマカー的な、破綻のない、真っ当な映画、という印象。
 前半では、手がかりを順にたどりながら少しずつ真相へと近づいていくウェルズの様子が丁寧に描かれる。冗漫ではなく、都合が良すぎるわけでもなく、必要なことを必要なだけ提示し、適度なテンポで次へ進む、というイメージ。裏商売の店で、KIDSのコーナーの商品に触れ、思わずその手をジャケットで拭うウェルズの姿が、いい。

 一転して後半は、サスペンス・アクション。無理やりエンターテインメントへ持っていこうとしたせいか、ウェルズが頑張りすぎる動機づけが弱く、やや安っぽく、トータル・バランスを欠いたきらいはあるものの、長回しでウェルズを追っていく侵入シーンのハラハラ感はなかなかのものだろう。

 浮かび上がってくるテーマは、ふたつ。

 まずは映画(フィルム)の持つ力について。これはたぶん、作中に登場する危ないフィルムに関わる者だけでなく、すべての映画関係者に対して向けられたメッセージなのだと思う。
 どんなにクソのように思える作品でも、ひとたび瞬間がフィルム上に刻まれれば、それは(こうして誰かが読み解くことを試みるような)意味を持つモノとなる。掘り起こせば死体と哀しみが増えていく、それだけの重みを持つモノにもなりうる。
 パワーに溺れることなく、パワーを自在に操り、何かを伝える1つの作品として仕上げる、その義務と責任が作り手にはあるのではないか? シューマカーをはじめとする本作の製作者たちの、フィルムメーカーとしての、そんな主張を感じることができる。

 このあたりに関係して面白いのは、ウェルズが吸っているタバコ。本来、フィルムを扱う際にはタバコなどの火気は厳禁。一瞬にして燃えてなくなる軽さもまたフィルムの特性であると、印象づけようとしているのだろうか。

 もうひとつのテーマは、狂気に理由などないという事実。
 いや実際、そうなのだと思う。『告発のとき』『ノーカントリー』でも感じたことだが、すでに現代社会は、理由もなく説明もつかない狂気に満ちた、クソったれの世の中に成り下がっているのだ。おぞましい事件の犯罪動機にマスコミがもっともらしい説明をつけようとするのは、単に、わかったつもりになって安心したいから、この世が狂気に満ちていることを認めたくないから。
 ラスト、ウェルズの笑みに漂うのは、守るべきものがあるという安堵や、守っていこうという決意だけではない。クソったれな世界で生きていかざるを得ない娘への、申し訳ない想いと憐憫も、またある。

 正直、それほど面白い映画ではないし、前後半のバランスの悪さも気になるのだが、「世界はこんなふうにできている」という、意外と大きな問題提起の詰まった映画ではないだろうか。

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