いのちの食べかた
監督:ニコラウス・ゲイハルター
30点満点中16点=監4/話3/出3/芸3/技3
【食べものの、作られかた】
牛、豚、鶏といった家畜がどう育てられ、どう処理されているか。鮭はどのようにして収穫されるか。トマト、リンゴ、ピーマンなどの農作物はどんな場所でどう栽培され、どのように摘み取られているか。われわれの食卓に並ぶ食材の“作られかた”を捉えたドキュメンタリー・フィルム。
(2005年 ドイツ/オーストリア)
【食の知識へと進む、ほんの入口】
描かれていることと描きかたの衝撃度では『ファーストフード・ネイション』のほうが勝っていように思う。ハンバーガーという身近な食べものに焦点を当て、ダイレクトに僕らの舌や食道や胃袋に訴えかけて、消化器官をムズ痒くさせた。
いっぽう、こちら。やはり身近な食材が取り上げられているのだが、実に淡々と、説明/セリフ/テキスト抜きで“食べものの作られかた”を映してゆく。『ファーストフード・ネイション』同様、ラストでは屠殺というショッキングなシーンを持ってくるが、トータルとしては「うわっ」というよりも「へぇ~」的なまとまりだ。
ただ、退屈にならないよう、あるいは意図をしっかりと形にするための演出的配慮を感じる。
キーワードは、マクロ、だろうか。
広角レンズによる一点透視・対称形で捉えられる生産の現場。その幾何学性はアーティスティックというよりも、むしろ“光景”、あるいは人工的な空間。作られた場が日常的光景として存在し、そこでは作物の「生産活動」がおこなわれていることを知らせる。
人は食べるために働き、働くために食べる、そんな基本的な事実もしっかりと示すが、食べる人たちの姿も、やはり淡々。食事もまた当たり前の日常として映し出される。
たびたび重機を登場させ、延々と続けられる同じ作業を時間をかけて撮影する。農作物は「なる」のではなく「作られる」ものであり、肉は「切られる」のではなく「解体される」ものとして、目の前に提示される。
また、最初に遠景などで「これは?」と感じさせ、それから実作業をうつして「ああ、なるほど!」と解く、という文法も採られている。現場の小さな音まで拾い上げて、ナマの空気を伝えようともしている。
つまり、われわれが口にする食べ物をミクロな視点で追いかけるだけでなく、風景・光景というマクロで捉える映画なのだ。
マクロな風景の中で繰り広げられるシステマティックな“食べものの作られかた”からは、もちろん単純に「こうやって作られているんだ」という感心も呼び起こされるけれど、どちらかといえば「どこをどう捌けば処理しやすいか」とか「どんなふうに収穫すれば効率的か」といった、畜産・農業の現場で機能している知恵やノウハウの存在、あるいは生産と経済の結びつきなどを強く感じる。
これを教材として、親や教師や専門家がさらにポイントを絞って解説、たとえば「食肉の歴史・文化」、「農薬散布の利害」、「農家の経済」など個別の問題=ミクロへと切り込んでいく、その入口としての役割を果たす作品といえるのかも知れない。
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