ファーストフード・ネイション
監督:リチャード・リンクレイター
出演:ウィルマー・バルデラマ/カタリーナ・サンディノ・モレノ/アナ・クラウディア・タランコン/ルイス・ガスマン/ボビー・カンナヴェイル/アーマンド・ヘルナンデス/グレッグ・キニア/クリス・クリストファーソン/ブルース・ウィリス/フランク・エアトル/アシュレイ・ジョンソン/ポール・ダノ/パトリシア・アークエット/イーサイ・モラレス/イーサン・ホーク/アーロン・ヒメルスタイン/アヴリル・ラヴィーン/ルー・テイラー・プッチ
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【この国の真実】
新商品『ビッグワン』の売上げも好調なファーストフードの大チェーン、ミッキーズ・バーガー。だが肉のパティに牛の糞が混入しているとの検査結果が出て、役員のドンは急ぎコロラドの精肉工場へ飛ぶ。工場で労働力を担うのはメキシコからの不法就労者。慣れぬ作業に工場では指の切断など事故が相次いでいるとの噂もあった。バイトとしてミッキーズ・バーガーで働く女子高生のアンバーは、奔放な叔父の影響で問題意識に目覚めていく。
(2006年 イギリス/アメリカ)
【肉と歪みの中で生きる僕ら】
この1週間に食べた“肉”を思い出してみる。牛丼、サイコロステーキ弁当、メンチカツ、そしてもちろん、ハンバーガー。
僕らは“肉”にまみれて生きている。
その“肉”の世界を覗き見る映画。
荒野にひしめく無機質な牛の群れは、まさに「牛の収容所」。やがて牛たちは淡々とした流れ作業の処理へと運ばれていく。食卓に並ぶ肉が、酪農業ではなく工業の結果として生産されていることを思い知らされる。
その過程で牛の糞が肉に混じることも、誰かが指や腕や脚を切り落としてしまうことも、日常茶飯事だという。
ハンバーガー用ソースの作成ではニオイまでもが合成される。落としたパティが厨房で焼かれても、ツバがトッピングされても、客は気づかない。たとえ糞が混じっていたって、焼いてしまえばOKだ。
ホテルの受付の、マニュアル通りで長々とした口上にウンザリするドン。それは「お前らファーストフードのやり口だよね」という揶揄。
そのホテル業界や、製材、ペット、燃料など、あらゆる業界に消費者の知らない裏側やカラクリやタブーや偽善が潜んでいることも示唆される。世界が格差で覆われていることも、テロの脅威に怯えるあまり非人道的な施策がまかり通っていることも描かれる。タイトルは「ファーストフードで使われる肉のように、クソにまみれた国」という意味か。
僕らは、歪みの中で生きている。
エンドクレジットではご丁寧に「本作に登場する人物や出来事はフィクションです」との断り書き。それが逆に、皮肉として届く。
あれやこれやが“ありそう”と思わせる、カメラと対象との絶妙な距離感がいい。そこで演じる役者たちの、ナチュラルな芝居もいい(カタリーナ・サンディノ・モレノもアヴリル・ラヴィーンも可愛いし)。
描くべき事柄が終わった後、しばらくシーンが切り換わらない“間”も素晴らしい。そのちょっとした違和感が、世界のカラクリへの違和感へと転じる作りの妙。
もちろん、ドラマ仕立てで毒や衝撃を薄めておきながら、いきなり衝撃へと斬り込んでいく構成の上手さにも(いろんな意味で)唸らされる。
だいたい、よくこんなもの撮れたな、という驚きがある。
哀しいかな僕らは、肉漬けの生活や歪みから抜け出すことはできない。
囲いから出ようとしない牛たちは、人間そのもの。与えられたものを食べていれば幸せなのだ。それの、どこが悪い。
初めてナマコを食べた人は勇気がある、なんていうけれど、そもそも人間って文明を発達させる以前から、気味が悪いとか可哀想といった思いや倫理観を育む前から、あらゆる動物を殺して喰って繁栄してきたのだ。
街が大きくなる、というのは、便利で楽しくって安くて活気のある、ファーストフード店や量販店の数が増えることによってもたらされる。便利で楽しくって安くて活気のある生活が美徳であり健全であり先端であり人間らしいと考える僕らにとって、そうした店は、オープニングで描かれるように色と光に満ちた、まるでおとぎの国かポスターのような世界でなくてはならないんである。
と開き直ってみても、心は晴れない。
キャッチコピーは「世の中には、知らないほうが幸せなことがたくさんあるんだよ。」。なるほど。でも、知らなければならないことは、もっとたくさんある。
英国では15歳未満鑑賞禁止、米では17歳以下の観賞は保護者の同伴が必要、日本ではR-15指定相当とされる本作。主に性描写やドラッグの登場が理由のようだが、それだけではあるまい。
この世界では「知らなければならないこと」と「知らないほうが幸せなこと」、そして「知られたくないこと」は同義語なのである。
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