ペルセポリス
監督:マルジャン・サトラピ/ヴァンサン・パロノー
声の出演:キアラ・マストロヤンニ/カトリーヌ・ドヌーヴ/ダニエル・ダリュー/シモン・アブカリアン/ガブリエル・ロペス・ベニテス/フランソワ・ジェローム
30点満点中17点=監4/話2/出3/芸5/技3
【マルジの日々】
イランで生まれ、いまはフランスで暮らすマルジ。彼女がたびたび空港へ来て思い出すのは、故郷テヘランのこと。父、母、祖母らと過ごした日々、優しいおじさん、友人たち、留学、失恋、出会い……。それは70年代の近代化とイラン・イスラーム革命、そしてイラン・イラク戦争へと続くイランの歴史とオーバー・ラップするものでもあった。パリ在住のイラストレーター、マルジャン・サトラピの自伝を自ら映画化した作品。
(2007年 アニメ フランス/アメリカ)
【あちらと、こちら】
影絵・切り絵・版画を思わせるモノトーンの世界が広がる。シンプルなラインながら、陰影の付けかたと細かなモーションにより、実に表情豊かに、そして滑らかに人物は動く。はなをすする、ヘッド・バンキング、浮遊、飛ぶクルマで表現される恋、人形劇風に描かれる“斃れる人々”など、動きのスムーズさと演出のユニークさが素晴らしい。常に近景と遠景を配置する画面構成も見事。
アニメーションとしての出来は、極上の部類に入るだろう。
そこで重層的回想によって語られるのは、マルジの個人史であると同時にイランの近代史。ペルセポリスはテヘランの南にあるアケメネス朝ペルシア帝国の都(遺跡)であり、その名には「都市の破壊」という意味もあるそうだが、まさしく壊されていく国家と人々の様子が綴られる。
ざっとまとめれば、クーデターによって興ったパフラヴィー朝による独裁と近代化、その裏にあった欧米の思惑(石油の利権と対ソヴィエト)、反体制派によるイラン・イスラーム革命(反欧米とイスラム至上主義)、イスラム共和国の樹立と周辺諸国からの孤立、国内では形を変えて続くことになった圧制、イラクによる侵攻(ここにも欧米の影)……というのが、70年代から80年代のイランの姿。
以降、いまなお繰り返されている保守派と改革派の衝突などについては、宗教的・政治的思想の違いや欧米ロの立場を勉強しないとわからない部分も多いわけだが、そのあたりをスルーして観たとしても、もう単純に「こちらの世界とあちらの世界の違い」が強烈に迫る。
堕落の象徴とされるマイケル・ジャクソン、戦地で聴かれるアイアン・メイデン、品物のないスーパー・マーケット。僕らが憧れの対象や平和な日常として捉えているものたちが、あちらでは「危険で特別なもの」として存在する。
その“違い”は、歴史や民族や経済や価値観が異なるのだから当たり前なのだけれど、僕らも彼らもその“違い”を受け入れず、また理解しようともしない。彼らにとって日本はいつまでも「ゴジラか切腹」であり、僕らにとってイスラム社会は(イランもイラクもひっくるめて)「狂信的で乱暴」のままだ。
無知と無教養は残虐な行為を呼び、いつしか“違い”は“恐れ”に置き換えられて、そして衝突が生まれる。
多くのユーモアもこめられている映画ではあるが「こちらの世界、あちらの世界、どちらの住民でもない」という存在のマルジ、彼女が抱える不安と寂しさは、どれほどのものだろうか。
そう考えながら観ると、『マイティ・ハート/愛と絆』と同様、「わかりにくい世界を『わからない』ですませないことが、悲劇を繰り返さないための最大にして唯一の方法」という想いがまた浮かんでくる。
クセがあって美しい絵で、人の原罪ともいえる「相手を理解しないこと」について考えさせる、すぐれた“アニメーション映画”である。
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