アルファ・ドッグ 破滅へのカウントダウン
監督:ニック・カサヴェテス
出演:エミール・ハーシュ/ジャスティン・ティンバーレイク/ショーン・ハトシー/ヴィンセント・カーシーザー/フェルナンド・バルガス/アレックス・ソロヴィッツ/ベン・フォスター/アントン・イェルチン/オリヴィア・ワイルド/ヘザー・ウォールクイスト/ドミニク・スウェイン/クリス・マークエット/アマンダ・セイフライド/アンバー・ハード/ルーカス・ハース/クリス・キンケイド/アレックス・キングストン/マシュー・バリー/デヴィッド・ソーントン/シャロン・ストーン/ハリー・ディーン・スタントン/ブルース・ウィリス
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3
【野良犬たちの日】
カリフォルニア。闇商売を営む父から麻薬を仕入れ、自らも売りさばくジョニー・トゥルーラブと、その取り巻きであるフランキー、エルヴィス、ティコたち。彼らはジョニーに借金のあるジェイクとの関係が悪化したことから、ジェイクの弟ザックを誘拐した。過保護な母から逃れたいと考えていたザックはジョニーらの奔放な生きかたに惹かれ、自らも“仲間”だと信じるようになっていく。だが少しずつ事態は、引き下がれないところへ向かう。
(2006年 アメリカ)
【ただ滅していくのみ】
演技の幅を見せてくれるエミール・ハーシュ、どんな役にもポンとハマってしまうジャスティン・ティンバーレイク、甲高く気弱な声のアントン・イェルチン、不必要なまでに妖艶なアマンダ・セイフライド……。ヤング・アダルトの有望株が、ズラリと顔をそろえる。
そして、みんなガキである。
原題の『アルファ・ドッグ』は野犬の群れのボスを示す言葉らしいが、しょせんそれは、小さな徒党の頭目。自分たちよりも大きなものに怯えながら日々を過ごし、いつしか捻り潰されるのが宿命だ。
複数のキャストがまとめて提示される冒頭のクレジット、その背後に流れる8mmフィルム、あるいはバカにしているブラック・ラップと違和感なく馴染んでしまう様子が、彼らの「どこにでもいるチンピラのガキども」という立場を浮き彫りにする。
周囲にあるのは、青々と芝生の茂る庭、水をたたえたプール、広大なリビング。そうした恵まれた環境にあっても、いや、不自由のなさそうな環境だからこそ、「何も考えなくていい、楽な生きかた」へと衝動的に突き進む。現代の閑静な住宅地にあっても『蝿の王』は成立してしまうのだ。
彼らは、何もしない。成長もしない。ただ飲み、貪り、ハイになるだけ。小突きあってゲームに興じ、カッコをつけてスラングを吐き、隷属に幸せを求める。浅はかな思考を巡らせれば巡らせるほどに、望まない方向へと転がっていく。
多用される「話せるか?」というセリフ。誰かに話を聴いてもらいたいという、彼らの叫び。
ドラッグと銃が画面に登場しなければ、ホントに、ただのガキどもの日常である。いや、ドラッグと銃もまた彼らの日常か。
そして彼らは死と破滅を迎える。その事件の裏には、実のところ、何もない。たいした理由もなく(またはガキの日常、ガキの喧嘩の延長として)、死と破滅がやってくる。
彼らを取り囲む大人たちでは、いわれるまでわからないほどの“変貌”を見せるシャロン・ストーンが印象的だが、彼女にしろジョニーやフランキーの父たちにしろ、みな無責任で、子らに隷属を求めるのみだ。それを、やはり日常=当たり前のものとして捉えており、親子ともども「何も考えなくていい、楽な生きかた」から抜け出す道はないように思える。
そうした“ただ滅していく姿”を、不思議と優しい視線で、けれど近寄りすぎることなく、うつしとっていく映画。「こんな国に生まれたはずじゃなかった」、または「こんな世の中にしてしまってすまない」という監督の悔恨が詰まっているようにも感じる。
オープニング、夭折のディーバ=エバ・キャシディが大胆なアレンジで歌う『Over the Rainbow』が胸に迫る。現代社会では、ここまで思い切って崩して歌わないと虹の向こうへは行けない、ということなのかも知れない。
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