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2009/11/28

君のためなら千回でも

監督:マーク・フォースター
出演:ハリド・アブダラ/アトッサ・レオーニ/ショーン・トーブ/ゼキリア・エブラヒミ/アーマド・ハーン・マフムードザダ/ホマユン・エルシャディ/ナビ・タンハ/エルハム・エーサス/アヴドゥル・クァディル・ファルーク/マイムーナ・ジザル/サイード・タグマウイ/ナセル・メマルジア/アヴドゥル・サラム・ユソウフザイ/アリ・ダニシュ・バクティアリ

30点満点中19点=監3/話4/出4/芸4/技4

【幼い者の、忠誠と罪と贖い】
 アメリカで作家デビューを果たしたアミールのもとに、父の友人ラヒム・カーンから「故郷に戻れ」との連絡が入る。1970年代、幼少期のアミールはアフガニスタンの首都カブールで実業家の父とともに過ごしたのだ。アミールのそばにはいつも、父の召使いアリの子・ハッサンがいた。だが、ある事件がきっかけでアミールとハッサンは別れ、さらにソ連のアフガニスタン侵攻によって、ふたりの人生は大きく離れていくことになる。
(2007年 アメリカ)

【弱さと罪の物語】
 まずはお勉強から。
 中央アジアを巡る英ロの勢力争いに巻き込まれていた19世紀のアフガニスタン。その後独立を果たすも、1970年代にはクーデターが相次ぎ、西側との接近を恐れたソ連が1979年に軍事介入する。
 1980年代にソ連軍は去るが、内乱は止まず、その中で武装勢力タリバンが台頭、アルカイダとの関係を強化。9・11後、アフガニスタンはビン=ラディンとアルカイダの引渡しを拒否、対テロを掲げるアメリカなどから攻撃を受け、タリバン政権は崩壊。暫定政府が樹立したものの、タリバンの残存勢力などが各地で蜂起しており、いまなお治安は安定していない。

 もともとパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人(モンゴロイドで被差別民族らしい)、ウズベク人などからなる多民族国家で、以前から紛争は絶えず、いくつもの王朝が興ったり倒れたりしていたようだ。
 もちろん数々の紛争の陰には、部族間の主義主張の違いに加え、経済的問題や宗教的問題(イスラム対キリスト、イスラム内での教義の差)、政治的問題があったはずだ。

 民族・部族、国家、宗教はそれぞれ固有の価値観と文化を持つが、それはヒトという種の多様性であると同時に、そのグループに属する人たちにとっては“ルール”となる。そして、ルールから外れれば、罪だ。

 本作の登場人物は、みな、その罪の中に身を置く人たち。ただし単に「グループ固有のルールを破る罪」だけでなく、どんなグループに属していようと人として守らなければならない基本的なルールと、そのルールを犯して苦しむ様子が中心となって描かれる。
 ルールを必要としたり、ルールに縛られてしまったり、自分の罪深さを思い知らせる存在を遠ざけるために罪を繰り返したりなど、そもそも人は生き物としての“弱さ”を抱えるのだと語られる。
 いわば「原罪」。キリスト教固有の観念である原罪とは別に、確かに人は生まれながらにして“弱さ”という罪を抱えているのかも知れない。
 作中の詩は「複雑な世に生きる我々は何者だろう」という疑問を投げかける。その複雑さを生み出したのも、疑問に悩むのも、人の“弱さ”ゆえなのかも知れない。

 そうしたメッセージを伝えるべく、印象的な言葉が散らされる。
「涙が真珠に変わるという杯を前にして、なぜ人はわざわざ、タマネギを切るという方法ではなく愛する人を傷つけ哀しむ道を選ぶのか」「唯一の過ちは盗み」「時は物事を悪化させる」「時間が必要だ」「こんな姿を見せなくてよかった」……。
 人物の口を借りて、価値観の差の存在や、人の罪深さ、罪の裏側にある人の“弱さ”を感じさせる手際が上手い。パチンコのエピソードなど、ひとつの出来事と、後の出来事とを結びつける構成も鮮やか。
 出来事/ストーリーを澱みなく紡ぐ語り口も流暢だ。

 良質なCGともあいまって、凧揚げ合戦は実に壮観、並のドッグファイトを軽く凌駕する。夜景も美しく、市場の混沌も楽しく、一転して荒廃した街並の再現・ロケーションにもリアリティがある。オスカーにノミネートされたアルベルト・イグレシアスの音楽も上々だ。

 出演陣が、またいい。少年時代のアミールを演じたゼキリア・エブラヒミ君の“いたたまれなさ”、同じく少年時代のハッサン役アーマド・ハーン・マフムードザダ君のノーブルさ、立っているだけで哀しいソーラブ役のアリ・ダニシュ・バクティアリ君、3人の子役が実に見事(スタッフがアフガニスタンの学校や孤児院を回ってキャスティングしたらしい)。
 威厳と、背中を丸めて弱った姿を演じ分けた父親役ホマユン・エルシャディも素晴らしい。

 これら構成力と演出、美術・技術・音楽関連の仕事、演技など各パーツがしっかり作品世界を支えることによって、本作がストーリー映画としてもメッセージ映画としても優れたものとなっていることは疑いようがない。

 やがて終幕へ。哀しい物語ではあるが、このエンディングは、人という生き物に対する希望だと捉えたい。
 先ほど「“弱さ”という罪」と述べたが、弱さは決して罪などではないはず。己の弱さを悔い改めないこと、立ち向かわずに逃げ続けることこそが罪だろう。
 アミールが示した贖罪・決意・行為、悔い改め立ち向かうその姿を、人という生き物の“強さ”だと捉えたいものである。

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