TOKYO!
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4(平均)
【3人の監督による東京を舞台としたオムニバス】
映画監督のアキラと上京したヒロコは、友人アケミの部屋で間借り生活を続けるうち、自分の存在意義に疑問を持つ……「インテリア・デザイン」/突如として現れた“下水道の怪人”ことメルド(糞)が東京を恐怖に突き落とす。人は彼を裁けるのか?……「メルド」/11年も引きこもり生活を続ける男は、毎週土曜に宅配ピザを届けに来る女性と目を合わせてしまい、その瞬間、地震が彼らを襲う……「シェイキング東京」
(2008年 フランス/日本/韓国)
【晴れ晴れとはしないが味わいある3本】
ここまで観念的なものばかり揃えなくったって、とも感じるが、それぞれに味わいがありメッセージがあり、パっと見以上には楽しめる映画だ。
●インテリア・デザイン
監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:藤谷文子/加瀬亮/伊藤歩/妻夫木聡/大森南朋/でんでん/石丸謙二郎
前半は、お芝居映画。頭で考えた堅いセリフを、藤谷文子(ずいぶん綺麗になったよなぁ)が絶妙のナチュラルさで演じる。いかにもな自主製作映画を得意げに披露する加瀬亮のダメっぷりも、たどたどしくって堅苦しい伊藤歩ちゃんもいいし、でんでんの“おっさん”ぶりも輝く。
ただ、ミシェル・ゴンドリーのフワフワ映画ってノレないんだよな、この作品そのものが半径10mモノの自主映画っぽいんだよな、と、ウダウダした感覚が募る。
ところが終盤、突如としてそのフワフワ10mが歪みを示す。上質なCGともあいまって、ちょっとショッキングな幕切れへとなだれ込む。「何者でもない人間」があまりに多すぎる東京という街の現状と、そんな人間でもどこかに居場所を見つけて何とかやっていけるという現実が突きつけられる。
東京で生きるってことは、気配を消し、誰かの生活の“彩り”として満足するしかないってことなのだな。16点。
●メルド
監督:レオス・カラックス
出演:ドニ・ラヴァン/ジャン=フランソワ・バルメ/石橋蓮司/北見敏之/嶋田久作/ジュリー・ドレフュス/清浦夏実/中別府葵
やっぱり欧米の映画人にとって日本=『ゴジラ』なんだ、というのが軽い第一印象。さらにストーリーが進むに連れて「これってまさしく現代版『ゴジラ』じゃん」と感じるようになる。
鎖国から文明開化、そして帝国主義から戦争へ。その貪欲な“何でも食ってやる”的姿勢を貫いて「彼らの母親を孕ませることで誕生した現代日本人(東京人)」は、混沌の街をモラルなど無視して闊歩する。
つまりメルド(糞)とは、いま東京に生きる人々にほかならない。彼らは花(文化)と紙幣(経済)を喰らい、死んだかに思えてしぶとく、神の存在を否定して生き永らえる。罪悪から生まれたゴジラのごとく、何度も何度も破壊を繰り返すのだ。
虚構からリアルへと一気に叩き込む爆破シーンがスリリング。メルドを写メで撮ってた右側の子(たぶん清浦夏実)とかジュリー・ドレフュスの美しさも印象的だ。16点。
●シェイキング東京
監督:ポン・ジュノ
出演:香川照之/蒼井優/竹中直人/荒川良々/山本浩司/松重豊
陰影、フォーカス、アングル、サイズ、動きなどにこだわった、格の高い画面作り(撮影は福本淳、照明は市川徳充)。ナレーションに頼ってはいるものの、それは「引きこもる人」の饒舌な内面を示すものと理解でき、3本中もっとも映画的な仕上がりといえるだろう。
そこで語られるのは、引きこもりを成立または解除させるための要件。
どうやら日本が先進国(?)であるらしい、引きこもりという現象。たいていは精神医学的な見地で語られるけれども、本作は「そうじゃない」といっているように感じる。
まず引きこもりを可能とする社会的システムの発達または衰退(各種デリバリー、ロボット科学、他人と関わらなくてもOKな風潮)があり、それゆえに人は引きこもりを成立させ、“完璧”な空間(完璧に見える空間)を作り上げてしまう。
が、その行為の土台に精神的堅牢さはなく、地震や「押して欲しくて他人に見えるところに設置したボタン」を押すことで、いともたやすく解除されることになる。しょせん人は、何か(システムや自然現象)や誰かに干渉されることで、コロっと進む方向を変える生き物なのだ。
香川照之は、やはり上手い。竹中直人は、ほんと久しぶりに作品の邪魔になっていなかったばかりでなく、去り際がカッコいい。そして、あまりに美しすぎる蒼井優が素晴らしい。19点。
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