イキガミ
監督:瀧本智行
出演:松田翔太/浅利陽介/金井勇太/塚本高史/りりィ/山崎裕太/徳井優/北見敏之/佐野和真/風吹ジュン/塩見三省/山田孝之/成海璃子/井川遥/劇団ひとり/柄本明/笹野高史
30点満点中17点=監4/話4/出3/芸3/技3
【すべては国家の繁栄のために】
国民に生命の価値を再認識させるため施行された『国家繁栄維持法』。それは国によって無作為に選ばれた18歳から24歳までの若者が、1000人に1人の割合で死に至るというものだった。死亡予定時刻24時間前に発行される死亡予告証、通称“イキガミ”の配達人となった藤本賢吾は、自分の仕事に疑問を感じながらも、相棒を捨てたミュージシャン、引きこもり、盲目の妹を助けようとする男らに、今日も“イキガミ”を届けるのだった。
(2008年 日本)
【現代の話】
そもそも論として「国繁法で出生率やGNPは上昇するか?」という疑問が残る。子を産みたくないと考える親は増えるはずだし、現代の日本国民の性質からすれば24歳を越えた時点で途端に安穏としてしまいそうだ。
また本作中の表現からイキガミによる死亡者数は年間1200人強と推察できるが、それは年間120万人以上の出生率を達成しなければ割に合わない(自然死や事故死分は除く)ことを意味する。出生率の低さが嘆かれる現状でも約110万人だから、たいした達成目標ではなさそうだ。
ま、それはともかく、意外とよくできている映画。
どちらかといえば連続TVドラマ向けの素材、撮りかたもTVスケールに近い。だが、基本設定の説明をあまり説明臭くならないよう処理し、複数エピソードのバランスも妥当、国繁法に反対する者を序盤で登場させるなど、まとめの上手さも感じる。必要な描写に必要な時間を割いて、描きかたには澱みがない。
ミュージシャン・田辺翼のエピソードは、苦しむ母を登場させ、「もっと本気で生きていれば」「悲劇があるからこそ輝く」という国繁法の意義を語るなど、ストレートな内容だ。
田辺にカリスマ性がなく、歌番組の内容・撮りかたもフツー、田辺が魂込めて歌う『みちしるべ』がいうほどスゴイ楽曲じゃなく、1つの偶然を機にポンと売れてスっと消えていくという点がポイント。
それは現代社会でも同じこと。国繁法は単に、「どんなクズでも売りモノになりうる経済活動」を助けるため、国が、ワイドショーやスポーツ紙にネタを提供するシステムにすぎないとも考えられる。
引きこもり・滝沢直樹のエピソードでは、母の態度や父の決意以上に、銃を見て逃げ惑う群衆の姿が印象に残る。誰も「不慮の死」など望んでいないことが浮き彫りになるのだ。どだいこの国には(というか人間には)、死を受け入れる覚悟などないのである。
対象との距離感の近い撮りかたが、山田孝之、成海璃子の上手い芝居とマッチして、もっとも上質に仕上がっているのが飯塚さとしのエピソード。自動車事故も、なかなか上手く撮れている。
内容的にも、移植の現状=命のやりとりがすでにシステム化されていることをうかがわせたり、死にゆく者が生き残る者に対してできること、逆に生き残る者が死にゆく者に対してできることを描いていて、感慨深い。
トータルとして浮かび上がるのは、本当の恐怖の存在。
怖いのは、絶対不可避な死そのものではない。権力に命の行方を握られること、社会システムに歯向かうことが退廃思想とされること、洗脳……。
頻出する監視カメラの映像や、およそ心地よいオフィスとは思えぬ国繁サービスセンターの美術は「ハミ出さないようたがいに監視しあう」世界を描き出す。モノレールも、ルール/システムからハミ出すことのできない社会を感じさせる。
が、そうした風潮=与えられたシステムの中で生きることを是とし、他人の不幸や悲劇を糧とする生活、周囲の弱点を突くことで生きるという方法論は、すでに僕らの社会にある。まさに国繁法誕生のもととなった「何も考えず生きること」も、現代社会にはびこっている。「国によって小数が切り捨てられる」ことは、日常茶飯事としておこなわれている。
近未来ディストピア・ストーリーの中でも『バトル・ロワイヤル』以降盛んに作られるようになった「理不尽な死」をテーマとする作品の1つだが、その中でも、ただの空想に終わらず、強く現代とのつながりを感じさせるものといえるのではないだろうか。
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