ザ・マジックアワー
監督:三谷幸喜
出演:佐藤浩市/妻夫木聡/深津絵里/西田敏行/綾瀬はるか/小日向文世/寺島進/伊吹吾郎/戸田恵子/浅野和之/市村萬次郎/柳澤愼一/香川照之/甲本雅裕
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【殺し屋に仕立て上げられた役者の苦闘】
洋館やバーなど古い家並みの残る港町、守加護。ギャングのボス・天塩の情婦であるマリと関係を持ったクラブ支配人・備後は、いままさに海へと沈められようとしていた。助かる方法はただひとつ、幻の殺し屋・デラ富樫を連れてくること。備後は「これは映画の撮影。カメラは見えないところから狙っている」と偽って売れない役者・村田大樹をデラ富樫に仕立て上げ、天塩の前で一世一代の大芝居を打つ。が、事態は思わぬ方向へ転がり……。
(2008年 日本)
★ややネタバレを含みます★
【作り物としての楽しさはあるが】
前作『THE 有頂天ホテル』で気になったのが、主要舞台となるホテルのロビーの、作り物っぽさ。ベタっとした色調ともあいまって、どうも世界が“狭い”感じを拭えなかった。
今回も街ひとつをセットとして作り上げ、画面に映っていない部分の広がりを想像させない閉塞感のある絵・空気なのだが、それを逆手に取り、架空の街で撮られる架空の映画、という設定にしたことは、大いなる進化とユーモアだと思う。
つまり、ハナっから作り物として存在・機能する映画。三谷監督の過去3作品と比べて格段にリアリティは薄く、けれどもギャング映画などに対するオマージュを潜ませて、エンディングではセットの設営風景まで披露し、そうして生まれる「作られた世界、ありえないことだとわかっていて楽しむ」という、古きよき映画(鑑賞)ならではの味わいが本作の支えになっているといえるだろう。
豪華すぎるチョイ役たち、精力的という言葉を超えた三谷監督のプロモーション活動などからも明らかなように、これは「企画・イベント」として捉える作品なのかも知れない。
いっぽうで映画としての“作り”の部分は、こなれてきた印象。実際に村田が芝居に入るまでの序盤がやや長い気もするが、トータルとしては、無駄な場面を省いて必要な出来事を畳み掛けていき、前作にあった「リアルタイム」という呪縛からも解き放たれて、テンポのよさが生まれている。
すべての人物とファクターをきちんと収束させる構成力も、さすがだ。
ただ、どこか突き抜けないというか、期待していたほどの充足感を得られなかったことは確か。
設定は『合い言葉は勇気』に似ているが、あちらは連続ドラマとあってジワジワと事態が拡大し、登場人物たちの立場・心境もジワジワ変化していく面白さがあったのに対し、本作はテンポを重視した結果、予定調和的でスッキリしすぎている。
舞台が前作の「何でも起こりうる」シティホテルから「抗争」へと限定されたこと、「巻き込まれた」という事実を主役が理解していないこと、無責任な人間が誰ひとりいないこと……などが複合し、出来事の意外性とそれに対する意外な対処法という、三谷コメディならではの面白さが少なくなったともいえる。マネージャーの長谷川やクラブの夏子などはもっと動かしようがあっただろうし、コロコロと衣装を替えるホテルの女主人=戸田恵子という遊びも消化不良に終わっている。
そして、笑いの絶対量の少なさ。ニヤリクスリはそれなりに盛り込まれているが、瞬発力的なゲラゲラは「ボスを撃ち殺しちゃってください、ハイ」くらいだった。この点では『赤ちゃんの逆襲』とか『マウス・ハント』あたりのほうが優れており、「コメディを見た」というカタルシスを得られない笑いの密度感だ。
タイトルや高瀬允のセリフにこめられた「どんな人間にも、きっと輝く瞬間がやってくる」というテーマ性、あるいは村田の「俺のやった芝居、フィルムに残ってないのかよ!」という叫びに感じる“役者を描く映画”としての方向性も中途半端。作り物だからこそのバカバカしさを削ぐ因ともなっているように思う。
確かに上手くまとめてあるんだけれど、もっともっと「ありえないこと」を重視してバカに徹したほうが面白かったんじゃないか、そう感じさせる仕上がりである。
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