パコと魔法の絵本
監督:中島哲也
出演:役所広司/アヤカ・ウィルソン/妻夫木聡/土屋アンナ/阿部サダヲ/加瀬亮/小池栄子/劇団ひとり/山内圭哉/國村隼/貫地谷しほり/後藤ひろひと/木村カエラ/上川隆也
30点満点中20点=監4/話3/出5/芸4/技4
【この子の心に残りたい】
40年間働きづめ、一代で大企業を築き上げた傲慢かつ嫌われ者の大貫が心臓発作で倒れる。入院先にいたのは変人ばかり。人間嫌いの男、大人の演技ができず自殺願望を抱く元子役、オカマ、ヤクザ、暴力的な看護婦……、そして、交通事故のせいで1日しか記憶がもたず、毎日同じ絵本を読んでいる少女パコ。「お前が私を知っているというだけで腹が立つ」が口癖の大貫だったが、やがてパコの心に残りたいと思うようになっていく。
(2008年 日本)
【卑怯、という褒め言葉を使いたい】
力ずくで観る者を作品世界へ引っ張り込むような、色の奔流が広がる。洋館や気ぐるみ、池の生き物たちの造形も素敵だ。舞台劇のようなセットに見えるが、意外に奥と手前と横の広がりはあり、時間帯を何気なく表現してしまっているのもいい。CGの仕上がりも及第点以上。
ある意味で“卑怯”な見た目なんだけれど、その卑怯な手法を確信的かつ効果的に使っているという印象だ。
ティム・バートンの作品やその流れを汲む『プッシング・デイジー』、あるいは『ハットしてキャット』などを観た後では衝撃は少ない。が、劇中劇ならぬ“ファンタジー内ファンタジー”という構造を美術が見事に支え、飛び出す絵本的な楽しい世界を作り上げているのは確か。
そこに乗っかるサウンドトラックも作品イメージにマッチしている。
全体的なテンポも上質。ゆうたろうやメーテルやアスカや彦摩呂といった小ネタ、ピュイっという足音やスリッパによるツッコミなどを挟み、つまりは卑怯なオフザケをばら撒き、かつ回想を織り交ぜ、登場人物それぞれの立ち位置にも配慮しながら、スイっスイっと物語は進んでいく。
カットやシーン、音のつながりがスムーズで、ともすれば破綻しがちなファンタジーを「しっかり作ろう」という意識がうかがえる。
役者たちも、ある意味で卑怯だ。
大真面目にふざける上川隆也や國村隼、徹底してふざける阿部サダヲ、真面目にやっているつもりがどこか抜けて見える加瀬亮や劇団ひとり、コワモテの向こうに純朴さを覗かせる山内圭哉、生来のハスっぱな雰囲気を全開にさせる土屋アンナ、「できる女」というイメージを悪に変えて発散する小池栄子らが、しっかり演技する役所広司を取り囲む。
全体に、オーバーアクションという表面的な面白さを越えた面白さ、各人の持ち味を生かしたキャラクター設定と配役、アンサンブルの妙がある。
そして、卑怯なまでのアヤカ・ウィルソンの可愛らしさ。正直、まだ女優ではなく子役ですらなく、ただの“素材”に過ぎないのだが、その素材の美しさひとつで、映画はこうも魅力的になるのだと思い知らされる。
いやもう「オレにくれ」が出てこないくらいのノーブルな笑顔と声とたどたどしい朗読だ。
そう、ひとことでまとめれば“卑怯”に満ちた映画。そもそもサイケデリックな色調と軽い小ネタとポップなテンポで油断させておいて、涙へと持っていく作りじたいが卑怯。
が、そのラストに用意された卑怯な展開が、卑怯×卑怯の数式を作り、大切なメッセージを発する正統派の映画へと本作を持っていく。
スタート地点にあるのは「人はみんな死ぬ」という事実だ。どんな嫌われ者でも愛すべき存在でも、自殺願望がある者も、人助けのためなら命を賭そうと考えている者も、強い者も弱い者も、結局、人は等しく死ぬ。
そして僕らはその事実に、ときどき押し潰されそうになる。
死という“圧”に抵抗しようと、または気を紛らわすために、人は誰かに影響を与え、誰かの心に残ろうとする。自分が死んでも自分についての記憶はこの世に生き続ける、それをせめてもの救いだと考える。だから、周りを気にかける、覚える、覚えてもらおうとする。
ただ、その行為は決して一方的な押し付けでは成立しない。大貫の「これはパコといっしょに読む本だ!」というセリフが語る通り、時空と経験をイーブンな立場で共有することで、初めて人はたがいに“心に残る存在”と成り得るのである。
「涙を止めるためには、いっぱい泣けばいい」。
その言葉の重み以上に、そういってくれる人がそばにいることにこそ重みがある。それが、影響を与えあいながら生きるってことなのだ。
大貫の態度は“急に生まれた優しい気持ち”なんかじゃない。もともと人って、優しくしたい誰か、優しくしてくれる誰かが必要な生き物なのだ。
室町=妻夫木聡は、死を覚悟して窓枠に立った瞬間、もっとも美しく画面に映し出される。でもあれって、室町の演技だったはず。彼に(そして僕らにも)覚悟なんてできない。「死ぬことは怖いが生きることはもっと怖い」という役者(そして僕ら)にできるのは、せいぜい“死を覚悟した芝居”くらいだろう。
その覚悟を与えてくれるものこそ、優しくしたい誰か=優しくしてくれる誰かという関係から生まれる“心に残る存在”だ。誰かが自分の心に残り、誰かの心に自分が残り、少なくともそういう関係になったと信じることで、あるいは信じるフリをするだけでも、生きる力があふれてくる。
僕らが生きていかなくてはならないのは、黒髪のパコがいる世界、「弱い生き物は死んでしまえばいい」という現実社会。その中で、誰にも気に止められず死んでいくという恐怖に立ち向かうのに必要なことを、この映画は教えてくれる。
舞台が原作とあって、実時間以外を描き切れておらず、かなり状況説明をセリフに頼ってもいるし、性急な部分もあって、映画的文法の完成度という点では不満が残る。が、死にゆく者、死のゴールへ向かって生きる者、すなわちすべての人が「生きていくのに必要なこと」について、強いメッセージを発する作品である。
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