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2010/02/15

ダージリン急行

監督:ウェス・アンダーソン
出演:オーウェン・ウィルソン/エイドリアン・ブロディ/ジェイソン・シュワルツマン/アマラ・カラン/ウォレス・ウォロダースキー/ウァレス・アールワリア/イルファン・カーン/バーベット・シュローダー/カミーラ・ラザフォード/ビル・マーレイ/アンジェリカ・ヒューストン/ナタリー・ポートマン

30点満点中17点=監4/話2/出4/芸4/技3

【インドの寝台特急、心の旅】
 父の葬儀以来1年間も断絶状態だったホイットマン家の3兄弟。顔に包帯を巻いた長兄フランシスに呼び集められ、妊娠中の妻と険悪な関係にあるピーター、失恋したばかりのジャックは、はるばるインドへ。乗るのは寝台列車ダージリン急行、目的は自分たちを見つめ直す“心の旅”と、葬儀に参列しなかった母パトリシアに会うこと。何かと衝突を繰り返し、車内で問題ばかり起こす彼らがたどる、ハプニングに満ちた旅路の果ては?
(2007年 アメリカ)

【グダっとした、未来への道】
 本能的に避けていたウェス・アンダーソン。たぶん、アメリカ人にしか価値観の理解できないグダっとした話を、フワっとオフ・ビートで、あるいはヒッピーっぽい雰囲気で、インディペンデント臭さたっぷりに見せるタイプなんだろうな、と考えていた。
 それは確かにそうだったんだけれど、思ったよりは悪くない。

 力任せに「ここはインドですっ」と言い切るファースト・ショットから、一貫してインドの空気感がそのまんま捉えられる。いや、ちょっとだけ70年代の香りもまぶされているだろうか。独特のスパイシーさ、悠久の流れ、ギラリベタリとした温度と湿度とエキセントリックな色合いに、ほんのりと混じる退廃、気だるさ、猥雑なニオイ。

 その混沌の世界を彷徨するのは、肉体的には大人だけれど、精神的にはまだ何者にも成り切れていない男たち。それぞれに傷を負い、クスリを手放せず、ひとまず“癒す”ことに手一杯という3人だ。
 オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン、いずれもあまり好きなタイプの役者ではないんだけれど、この設定・人物にはピタリとハマって楽しい。ついでにリタ役アマラ・カランが絶妙にイロっぽい(ナタリー・ポートマンが出ていたことに最後まで気づかなかったのは痛恨)。

 で、ビッシリとした予定表通りに進むはずの彼らの旅程は、最初から最後までハズレっぱなし。いまいましい予定表を破り捨てることすらままならないありさまだ。

 けれど、そもそも予定通りに行かないのが人生。突然の死、思いもかけない妊娠、失恋、届かないパーツ、盗難に乗り遅れに出奔……。レールの上を走るはずの列車ですら道に迷う。
 そう、ハプニングの連続で人生ってのはできている。つまり、人生そのものがグダグダなのだ。
 グダグダどうしのぶつかり合いや邂逅が、スライドやパンを多用して捉えられる。1つの時空間に、いろんなグダグダが同時に生きているってことだろう。

 もちろん、自由意志も大切だろう。「こうしたい」というポジティヴな想いで、乗る列車や飛行機、目的地、ある行動を取るか取らないかを、その都度決めるのだ。
 が、その先に癒しや解決が待っているとは限らない。自分にはどうしようもない力に導かれて、次の場所を目指すしかない。グダグダたちはグダグダを振り払えぬまま、どこかへ運ばれていく。
 それでも、たぶん大丈夫。ホイットマン3兄弟は「何者にもならない、なりたくない」というネガティヴな意志を発揮しているみたいだけれど、彼らだって、どうせどこかへ行き着くはずなのだ。

 そんなふうに、グダっとしているけれど、いや、グダっとしているがゆえに、いろんなことを考えさせる映画である。

 作中、どういう意味だろうと気になったのが「TBD」というセリフ。調べてみたら「現在は未決定だが、将来決定する」という意味らしい。まさに本作のテーマを凝縮したような言葉だ。
 うん、やっぱり人生って、そういうことの集積体。いま何も決めようとしない僕らでも結局のところ未来に進むしかなく、いま何かを決めようとしない僕らにも結局のところ未来は訪れるのだ。

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