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2010/02/21

バートン・フィンク

監督:ジョエル・コーエン
出演:ジョン・タートゥーロ/ジョン・グッドマン/ジュディ・デイヴィス/マイケル・ラーナー/ジョン・マホーニー/トニー・シャルーブ/ジョン・ポリト/スティーヴ・ブシェミ/デイヴィッド・ワリロウ/リチャード・ポートナウ/クリストファー・マーニー/ミーガン・フェイ

30点満点中17点=監4/話2/出4/芸4/技3

【ライターの悪夢】
 1940年代のアメリカ。NYの批評家たちから大絶賛され、成功を手にしつつある劇作家バートン・フィンク。だが彼にとっては名声より「新しい芝居を創り上げること」が第一だった。そんな折、バートンは映画黎明期のハリウッドに招かれ、大きいが古ぼけたホテルにこもって脚本を書くことになる。隣室のチャーリー、尊敬する作家、その秘書らと知己を得るものの、慣れぬ仕事に四苦八苦、シナリオは一向に進まず彼は悩み続ける。
(1991年 アメリカ/イギリス)

【細かな部分を見せる映画】
 延々と続く薄暗い廊下。人影は、なし。陰鬱なパターンの壁紙。それがネットリと剥がれていく。潜り込んでいくようなカメラ。
 胃袋の下あたりに重ぉいものをこっそり積み上げていくような、幻惑の空気が漂う。
 とはいえお話としては“デフォルメされた悪夢”あるいは“現実と悪夢の混沌”にすぎず、そこから何を感じ、何をつかみ取るかは、観る側の精神状態や置かれている立場で大きく変わってきそうだ。

 物書きの端くれの末端の面汚しとしていえるのは「些細なことが気になって筆が進まない」のは、よくあること。でも「ん~もうっ、せっかく書こうとしているのにぃ、また邪魔が入ったぁ」というのは、ただの現実逃避・責任転嫁だ。
 それと「表現しようとしていることが理解されない」からってウジウジするのも、実は要求されていることに応えられない自分の非力さを棚に上げちゃっているだけのこと。ま、あの映画会社社長の押しの強さとハチャメチャさ加減は、確かに側にいるだけで滅入りそうだけれど。
 幸か不幸か楽天的であることに加え、仕事は仕事と“割り切り”に徹しているし、そもそも文章に芸術性と娯楽性の高度な融合を求められることなんてないので、はいはい、仰せの通りに書かせていただきます、で何とかやっていますです。

 で、そうした“描かれていること”はともかく、“描きかた”はなかなかの鋭さだ。
 1カットで舞台の広がりや奥行きを表現するカメラワーク、音の浮き上がりや減衰で示される“あやふやな世界”、焼けた紙で理解させる「しばらく使われていない&メンテナンスの行き届いていない部屋」という事実、パイプを伝わって隣室に届く音……。作りには隅々まで意志と配慮が凝らされている。
 また、チャーリーの腕の日焼けの様子、ゴトンと箪笥に当たる脚、バートンの無精ひげなど、ディテールのリアリティも素晴らしい。

 そして、終局へ。数々の皮肉やハプニングを経て、それまで自分には理解できなかったこと=悪夢と狂気を受け入れたとき、何かが心の中に広がる。その過程をジリジリと、作りの細やかさで見せるスリラーだ。

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