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2010/02/17

ラブリーボーン

監督:ピーター・ジャクソン
出演:シアーシャ・ローナン/マーク・ウォールバーグ/レイチェル・ワイズ/スーザン・サランドン/スタンリー・トゥッチ/マイケル・インペリオリ/ローズ・マクアイヴァー/クリスチャン・トーマス・アシュデイル/リース・リッチー/キャロリン・ダンド/ジェイク・アベル/ニッキー・スーフー/アンドリュー・ジェームズ・アレン/イヴリン・レノン/ブラヴォー

30点満点中18点=監4/話2/出4/芸4/技4

【私には、やり残したことがある】
 1973年12月、ペンシルヴァニアの小さな町ノリスタウン。ボトルシップ作りを趣味に持つ会計士のパパ・ジャック、読書好きなママ・アビゲイル、妹リンジーと弟バックリー、祖母のリンらに囲まれて暮らす14歳の少女スージー・サーモン。彼女は憧れの上級生レイからデートに誘われた日、近くに住むジョージ・ハーヴェイに殺される。以来スージーは、現世と天国との間にある不思議な空間で、家族の“その後”を見守るのだった。
(2009年 アメリカ/イギリス/ニュージーランド)

【ふわり+さっぱり+サスペンス】
 あらすじやトレーラーから「スージーが奇跡を起こして犯人逮捕、家族の再生&成仏で大団円」、いわば『ゴースト ニューヨークの幻』(ジェリー・ザッカー監督)的な映画を予想していたのだが、違った。
 そうしたカタルシスは、かなり曖昧、霧の中へと放り込む。

 確かに「いままで当たり前のようにそこにいた、愛する人」が突然いなくなった世界というのは、普通の場合、推理活劇やミラクルの舞台には成り得ない。残された者にとっては、ただ耐え難く、焦燥と無力感に満ちたものとなるだろう。
 逝ってしまった者にとっても、自分がいなくなった世界は「どうこうできるもの」ではないはず。近くて遠い場所から見守るという不可思議な経験の中で、いくつもの“気がかり”に後ろ髪を引かれて、去り難さを覚えることになるだろう。

 そんな「霧の中へ置かれた様子」を、上質なキャストが表現する。
 マーク・ウォールバーグは、何かできることをやろうとして空回りする父ジャックを、下手に力まず演じる。アビゲイル役のレイチェル・ワイズも、彼女だとわからないくらいの生活臭を身にまとって、母としての苦悩を好演している。現実主義的な祖母リン=スーザン・サランドンは、長く意固地に生きてきた人だけが放つ“正しさと間違い”を、自然と醸し出す。
 見過ごされがちかも知れないが、次女リンジー役=ローズ・マクアイヴァー(実際の年齢はシアーシャ・ローナンより7つ上らしい)のタレントもなかなかのもの。「姉が生きられなかった時間を生きる少女」をローティーンからハイティーンまで、軽くもなく重くもなく演じ分けている。

 そして、本作最大の輝きであるシアーシャ・ローナンのスージー。『ゴースト』のサムのように、ジタバタしながらも能動的にストーリーを動かしていくようなことは、ない。現世(父や妹やルース)に干渉はするけれど、それは奇跡やファンタジーというよりむしろ祈りに近くて、憎しみ以上に後悔を、前進よりも保留を、力まかせの解決より自然な安らぎを求める。もっとも大きな気がかりは「果たせなかった恋」である。
 その、ふわふわとした等身大の14歳の価値観を、シアーシャ・ローナンがナチュラルに画面上へ刻み付けていく。『奇術師フーディーニ~妖しき幻想~』で「子役芝居ではあるが、身のこなしには“女優”が漂う」と感じた彼女の印象は、ここでも健在だ。正直、圧倒的な美人ではないのだけれど、大きな作りの表情には不思議な魅力が宿り、もしスージー役が彼女でなかったなら、本作はもっとギスギスして、もっと安っぽいものになったのではないだろうか。

 70年代のアメリカの田舎町に加え、現世と天国との間にある「インビトゥイーン」を鮮やかに再現した美術(プロダクションデザインは『アイ・アム・レジェンド』のナオミ・ショーハン)、衣装(『リトル・ミス・サンシャイン』や『エリザベスタウン』のナンシー・スタイナー)も見事。
 音楽はブライアン・イーノ(いつも通っている劇場で幕間に流れるのもこの人の曲だったんだな)で、サーモン家がたどる「どちらにも進むことのできない時間」やインビトゥイーンを、やはりふわふわと支える。

 これら素晴らしいパーツの積み重ねによって、死んだ者と残された者それぞれの“あやふやな立ち位置”を、大袈裟な感動や劇的な展開を排して、ふわりと、それでいてさっぱりと、静かに描いた作品といえるだろう。

 いっぽうで「突然奪われる命」や「依然として家族の近くに存在し続ける脅威」というサスペンス風味も盛り込まれており、この点では、スージーが襲われる場面、リンジーが殺人の証拠を見つけようと奮闘するシーンの緊迫感がパワフルだ。
 覗き見の視線、短く畳み掛けるカットワーク、あるときは不協和音で心を揺さぶったかと思えば、またあるときは静寂で息を飲ませる。変幻自在ながらも手堅くスリルを盛り上げる腕と、それを“ふわふわした価値観”と共存させてしまうところに、ピーター・ジャクソン監督の演出力を感じ取ることができる。
 また、家族のそばで淡々と、だからこその恐怖として存在するスタンリー・トゥッチのミスター・ハーヴェイも、なんかもう気味悪くて、でもどこかにいそうで、新境地(オスカー・ノミネート)だ。

 冒頭で述べた通り、奇跡から大団円へと続くエンターテインメントを期待して観れば、やや肩透かしと感じるだろう。
 が、どこにでもいる夢多き14歳の少女が死んだとき、彼女自身と彼女の周囲はどんな空気に包まれるのか? 死んだ者はどういう想いで現世を見ているのか? 望まぬ死を迎えた者に安らぎは訪れるのか? といった疑問について考えるキッカケを与えてくれて、と同時にサスペンスとしての見せ場もしっかりと用意した、ユニークな映画である。

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