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2010/03/18

ハート・ロッカー

監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジェレミー・レナー/アンソニー・マッキー/ブライアン・ジェラティ/ガイ・ピアース/レイフ・ファインズ/デヴィッド・モース/エヴァンジェリン・リリー/クリスチャン・カマルゴ/クリストファー・サイーフ/スハイル・アルダバック/ナビル・コニ

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4

【爆弾処理チームの日々】
 イラク、バグダッドで活動を続けるアメリカ陸軍ブラボー中隊。爆弾処理の任務中に死亡したトンプソン軍曹に代わって、新たにジェームズ軍曹が着任する。腕は確かで度胸もあるが、遠隔操作ロボットを使おうとせず、勝手に無線を切り、単独で爆破犯を追うことも厭わないジェームズの姿勢に、チームのサンポーン軍曹やエルドリッジ技術兵は肝を冷やし続ける。瓦礫に覆われた街、砂漠や廃墟で、今日も彼らは危険と向き合うのだった。
(2008年 アメリカ)

【即興の向こうに見えるメッセージ】
 オスカーを『アバター』に渡すことは、アカデミー自らが「今後はコレが映画の標準」と宣言するも同然、映画の“ありかた”そのものを大きく変えてしまう事件となるだろう、そう考えていた。だから本作の作品賞受賞は、ある意味で保守的な結果だと個人的には捉えた。

 が、実際に本作を観て、そうした印象が間違いであったと気づく。

 足を引き摺る猫、顔に止まる蝿、巻き上がる砂塵……。およそコントロールできそうにないものが、まるで「いいから、このまま撮りましょう」とばかりにうつされる。演技や人の動き、カメラ位置などについても、恐らくはその場その場、臨機応援の判断で決められたはずだ。

 そうした“その場感”は、ブレやフォーカスの揺らぎなど頓着せずに撮るドキュメンタリー・ライクな手法でさらに高まる。
 集められたカットの編集にも、やはり「あらかじめ考えていた通り」というより、「こうしたら面白くなりそう」という直感にまかせたような雰囲気を感じる。
 そして、「Aという舞台の1と2と8と9、Bの3と4、Cの2と3と9と10」を見せて(つないで)計10の重みを持つシークエンスを作る通常のストーリーテリングではなく「Aの1~10までを全部見せる」という思い切りかた。

 つまり「いま目の前にある状況、現場で感じたことやインスピレーションを第一に考えましょう」という姿勢(いや、周到に用意されたものや「最初からこうしたかった」という部分も相当にあるとは思うが)と、既存の映画とは異なる文法で作られた映画。
 そのベクトルが、「戦場でおこなわれる爆弾処理と、その仕事に従事する人物たち」のリアリティ向上に寄与することとなる。

 物量を計算ずくで投入しつつ、あらゆる要素を(デジタル技術によって)完璧にコントロールしようとしたのが『アバター』なら、こちらは多分にアナログ的な方法論で作られているといえるだろう。いわば“即興”だ。
 元夫婦対決とか、制作費300億vs15億などと騒がれた『アバター』と『ハート・ロッカー』の闘いは、実は“全編を完璧にコントロールする”という手法と“インスピレーションと即興を重視する”という方法論、映画作りにおける両端を比較することだったのではないだろうか。
 かたやシンセサイザーで演奏されるフル・オーケストラのクラシック、対するはジャズ・クインテット、といったところだ。

 もちろん、こんな“即興”が実現できたのは、奏者=作品を支える各パーツが優秀だったからに他ならない。
 脚本は『告発のとき』の原案マーク・ボール、撮影のバリー・アクロイドは『ユナイテッド93』の人だ。音楽は『ヘルボーイ』『アイズ』などアクション/スリラーで腕を揮ってきたマルコ・ベルトラミとバック・サンダースで、編集は『スパイダーマン』『スペル』などのボブ・ムラウスキーとクリス・イニス。プロダクション・デザインは『ホルテンさんのはじめての冒険』のカール・ユーリウスソン、アート・ディレクターは『CODE46』『マイティ・ハート/愛と絆』のデイヴィッド・ブライアン、衣装は『ジャーヘッド』『エネミー・ライン』のジョージ・リトル。音響は『エミリー・ローズ』などのポール・N・J・オットソンと『明日へのチケット』のレイ・ベケット。
 ホコリっぽさ、暑さ、湿り気までを余さず捉えるシャープな映像。轟音と細やかさのサウンドメイク。オン/オフまで熟慮された音楽の使いかた。防爆服やロケーションなどの美術面。爆発の特殊効果。
 さまざまなファクターが極上の仕事ぶりを見せる。

 キャストも、「非人間的だからこそ人間的」という難しい役柄を、種類の異なる苛立ちを使い分けて演じたジェレミー・レナーをはじめ、アンソニー・マッキーもブライアン・ジェラティも、キッパリと爆発物処理班になりきっていて良質だ。

 当然ながら、これらをしっかりまとめあげたキャスリン・ビグローの手腕も確かなもの。まさに「プロたちの仕事の集積体」として評価されて、各賞のノミネートと受賞につながったということなのだろう。

 さて、「どう描くか」という部分でかなり満足してしまったので、「何を描いたか」については簡単に。
 恐怖と高揚は等しく結ばれる。それが本作の中心を占めるメッセージ(というか、戦争における人の心の歪み)だ。そして、そんな心持ちの中では、すべてのモノ・人が疑わしく見える。けれどそうしないと生き抜けないという事実がある。死は一歩先で待っている。
 にも関わらず、人は高揚感を手に入れるため、戦場へと向かう。突き詰めれば「それどころか、好んで戦争を作り出すこともある」という危惧まで沸き上がってくる。歪みの中、死の一歩手前で停滞し続ける人類。

 サンポーンは「子どもが欲しい」と吐露するが、それはすなわち「未来が欲しい」という意味だろう。逆にジェームズは未来を拒絶し、ひたすら高揚の中に身を置くことを正当化するのに懸命だ。
 両者とも、高揚のみを求める世界(人間)に平和も進展も未来もあるはずはなく、ただ地獄の中で停滞するだけだと理解しているのだろう。
 カギと鎖に雁字搦めにされて、どうにも抜け出せず、ただ死を待つだけの存在。それは彼ら自身、そして人間という存在そのものでもあるはずだ。

 果たして、戦争が人を歪めるのか、人そのものが歪んでいるからこそ戦争を求めるのか。そんなことを考えさせる作品である。

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