わが教え子、ヒトラー
監督:ダニー・レヴィ
出演:ウルリッヒ・ミューエ/ヘルゲ・シュナイダー/シルヴェスター・グロート/アドリアーナ・アルタラス/シュテファン・クルト/ウルリッヒ・ノエテン/ランベルト・ハメル/ウド・クロシュヴァルト/トルステン・ミッチェリス/アクセル・ヴェルナー/ラルス・ルドルフ/ショーン・カルボルグ/ポーラ・クニュープリング/ダニエル・モロヒャ/レオナルド・アトラサス
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3
【総統に自信を呼び戻すため】
大戦末期の1944年12月25日。ベルリンは瓦礫の山と化し、ナチス・ドイツの敗色は濃厚、総統ヒトラーも勝利に猜疑的だ。このままでは新年に予定されている演説も覚束ない。宣伝相ゲッベルスは、かつてヒトラーに発声法を教えたユダヤ人俳優・グリュンバウム教授を収容所から呼び寄せる。総統にかつての自信を取り戻させようというのだ。普通の人・ヒトラーを前に戸惑う教授。だが、この計画には恐るべき陰謀が隠されていた。
(2007年 ドイツ)
【人の、歴史の、“軽さ”を知る】
監視されるヒトラーがいる。すっかり威厳を失くしたヒトラーがいる。ユダヤ人にもてあそばれ、引きずり回され、顔に尻を乗せられ、犬にあんなことまでされちゃうヒトラーがいる。過去を引きずる、哀れな小男。
そんな失墜したカリスマを、操ろうとする輩がいる。ところがこの“陰の支配者”を気取る者も、結局は総統に盾突くことなどできない。
いったい誰が誰をコントロールしているのか。思惑と妄執が複雑に入り組んだ社会では、どうやら最終的には“手続き”というバカバカしいモノが、人をコントロールすることになるようだ。
無傷な者がいない。足を引きずったり腕を吊り下げたり。きっと身体の痛みは、人の心まで意固地にさせるのだろう。
本編中「ゲッベルスだけが寝ていない」ということを示唆するシーンがある。戦争や政治に対して真面目に取り組めば取り組むほど、人は彼のように非情になっていくのだろう。
ウルリッヒ・ミューエによる教授、ヘルゲ・シュナイダーによるヒトラー総統、シルヴェスター・グロート演じるゲッベルス、みな神経質に視線を揺らし、声を荒げ、あるいは声を潜める。みんな憎めないけれども、“人”とは呼べぬ、どこかフワフワとした存在たち。
彼らの刹那的な計画によって、悲劇は作られる。
そんな歪んだ世界に、カメラはグイっと潜り込んでいく。かなりの至近距離で各人の焦りや疲労やマヌケさをうつし取っていく。
デジタルはハリウッドに比べてちょっと弱いけれど、ベルリンの荒廃をまずまずリアルに再現。総統の執務室の、あのガランとしたスペースに漂う虚無の空気も素晴らしい。
大仰だけれどコミカルなサウンドトラックは、愚かで哀しい人たちによる悲劇をコロコロと転がしていく。
そして、終劇。かなりアッサリとした、やや唐突にも思える幕引きだが、その後に用意されたある展開に驚かされる。
そうか、“人”は歴史にも人の心にも残らないのだ。残るとしても歪んだ形で残る。たとえ人類史上屈指の極悪人でも、そのまんまの姿が後世に伝えられることはない。
残るのは“出来事”だけ。が、それもまた歪められ、数百万人が関わった大事件ですら教科書では1行で記されることも多い。
結局のところ歴史(歴史的事件)って、思惑とか妄執とか人の道を踏み外した人とかタイミングとかバカとか刹那的な計画とかがごっちゃになって、ひとつの思いもしなかった形となり、人を動かし時代を通り抜け、やがては風化していくものなのかも知れない。
人も歴史も、ホントに軽いものなのだなぁ。
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