グッド・シェパード
監督:ロバート・デ・ニーロ
出演:マット・デイモン/アンジェリーナ・ジョリー/アレック・ボールドウィン/タミー・ブランチャード/ビリー・クラダップ/ロバート・デ・ニーロ/ケア・デュリア/マイケル・ガンボン/マルティナ・ゲデック/ウィリアム・ハート/ティモシー・ハットン/マーク・イヴァニール/ガブリエル・マクト/リー・ペイス/ジョー・ペシ/エディ・レッドメイン/ジョン・セッションズ/オレグ・ステファンコ/ジョン・タートゥーロ
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4
【CIA誕生の舞台裏】
第二次世界大戦前夜。米軍の情報機関OSSにスカウトされたエドワード・ウィルソンは、息子の顔を見ることもなく欧州で任務を続けていた。やがて帰国した彼は、キューバ革命介入という極秘作戦の失敗に直面する。失敗の原因となった情報の漏洩、エドワードの上司・アレン長官、協力者であるFBIのサム、最大のライバル・KGBのユリシーズ、妻クローバーや息子ジュニア、最愛の人ローラらと向き合う中で、彼が見たものとは?
(2006年 アメリカ)
【自分自身を殺した男】
前身となったOSSからCIA誕生に至るまでが、エドワード・ウィルソンによる諜報活動、ピッグス湾(コチーノス)事件における情報漏洩、エドワードと家族との関係を軸に紡がれていく。
エドワードは架空の人物だそうだが、複数のモデルは存在するとのこと。また元CIA職員ミルトン・ベアデンがテクニカル・アドバイザーとして参加しており、本作の内容をCIA自身が分析・公表(Wikipediaより)しているのだとか。
それだけにリアル、そして「リアルにこそ最大の驚きが潜む」という印象の強いストーリーだが、それ以上に面白いのが構成力だ。
40年代と60年代を交互に描きながら、エドワードの人となりと、彼のような人材が必要とされる世界を静かに浮き上がらせていく。敵、味方、敵のように見える味方、味方のように見える敵、船や手紙といったキーアイテムを自在に配し、過去と現在とを上手につなぎ合わせていく。
そうした全体的な構造に加えて、コーヒー豆の缶の中からゴロリと転がり出すアレとか、しきりにやりとりされる暗号など、過剰な説明をせず、かつ興味深く各シーンを進めていく手際も見事だ。さすがは名匠エリック・ロス(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』『インサイダー』『ミュンヘン』『ラッキー・ユー』)。
撮りかた・リズムにも風格がある。決して慌てず、アングルからサイズから長さから明るさまで「こう撮りたい」という意志が全面にあふれ出たカットが連続する。美術や音楽も良質。数々の名監督と仕事をすることでデ・ニーロの中にしっかりと培われたセンスと、彼を信じるスタッフの仕事ぶりを感じさせる仕上がりだ。
キャストも、いつもながらのアンジー、若き才能を感じさせるエドワードJr役エディ・レッドメインのほか、ビリー・クラダップ、マイケル・ガンボン、ウィリアム・ハートなど、みな“それっぽく”て、正体不明に佇むジョン・タートゥーロも存在感たっぷり。
当初、エドワード役にはレオナルド・ディカプリオが予定されていたらしい。スケジュールが合わずマット・デイモン起用となったそうだが、それが正解。冷徹さと優しさをミックスさせつつ、それでも完全に軸足は「仕事」に置いた寡黙な男を演じ切る。
ウソをつくな。父からそういわれたエドワードは、恐らく、その言葉を守るのではなく、「ウソをつくことで自らが心を痛めるような関係」を誰かと築かないでおこうと決めたのだろう。深く関わらないという決意。
家族や友や師や愛を犠牲にしたのではなく、はじめからそんなものは存在すらしなかった、というのが、彼の歩もうとした人生なのだ。
疑うとか信じるとか愛国心以前に、心を殺し、どっぷりと自分の仕事に浸かることのできる“滅私”こそ、彼の本分なのだろう。
それでも博士や息子の末路に苦悩し、心を許した女性もいた。それだけの人間味は彼に残されていた。その人間味を締めて縛りつける“滅私”の象徴としてネクタイが登場するわけだが、そのネクタイを「素敵」というクローバーと彼が愛しあえなかったのも、無理はない。
また「weaknes=弱点」という言葉もたびたび使われる。エドワードにとっての弱点とは、何か? 前述の通り彼には家族などいなかったのだから、妻や息子は弱点とはなりえない。
手もとの辞書によれば「weaknes」には愚鈍、低脳、気の弱さという意味もある。彼の人生は、それら「weaknes」を自分から振り払おうとしたものだったといえるかも知れない。
そんな人生において、何が幸せだろうか。どこに安息を求められるだろうか。狭い場所へ無理やり押し込められるボトルシップと、違う場所の音が画面に乗っかるという場面が、何度か登場する。
彼が味わっている息苦しさと、彼の心はこの場所にないという事実を物語っているようだ。
全体の構成から細部のパーツまで、エドワードという人間を描くものとして上手に配置された、優れた映画である。
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