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2010/04/10

ダイアリー・オブ・ザ・デッド

監督:ジョージ・A・ロメロ
出演:ミシェル・モーガン/ジョシュ・クローズ/ショーン・ロバーツ/エイミー・チウパック・ラロンド/ジョー・ディニコル/スコット・ウェントワース/フィリップ・リッチオ/クリス・ヴァイオレット/タチアナ・マスラニー/メーガン・パーク/マーティン・ローチ/R・D・レイド

30点満点中16点=監4/話2/出3/芸3/技4

【たった3日で世界は滅びる】
 不法入国者が家族で心中。最初は、ありきたりのニュースに思われた。だがその死者たちは蘇って人を襲い、襲われた人は死に至り、蘇り、また人を襲う。その“感染”は各地で発生し、みるみるうちに合衆国全土へと広がっていった。卒業製作の映画を撮影していたジェイソン、トニーらピッツバーグ大の学生たちは、トレーラーで逃げながらすべてをカメラで記録、インターネットを通じて生き延びた人へ真実を伝えようとするのだが……。
(2007年 アメリカ)

【非ゾンビ映画的なゾンビ映画】
 暴動などのニュース・アーカイブ(ニュースの読み手としてウェス・クレイヴン、スティーヴン・キング、サイモン・ペッグ、ギレルモ・デル・トロにクエンティン・タランティーノなんかが参加しているらしい)や監視カメラの映像も混じるが、基本的には素人の学生が撮ったビデオを編集したという体裁の作品。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『クローバーフィールド/HAKAISHA』と同様の作りだ。
 一人称視点ゆえの恐怖をあらためて実感できるし、「少し離れた場所が暗くて見えない」という映像もスリル創出に貢献している。が、すでに使い古された手法であり、起こる出来事も友人・家族のゾンビ化とそれに対面することの苦悩など、おなじみの展開。血しぶきドバーなど特殊効果は頑張っているけれど、それほど目新しさはないといえる。

 むしろ新しさとして感じるのは、本家ロメロの作品でありながら誰も「頭を撃つ」というゾンビへの基本的対処法を知らず(もちろん登場人物たちによって「発見」されるのだが)、ゼロからのスタートになっていること。
 そして、その“無知”こそが実は、本作のキー。

 ゾンビがどうこう、逃げる人・戦う人たちがどうこうより、重視されるのは“撮る(本作では撃つことも撮ることも「シュート」という言葉で表現される)”ことと“その映像によって伝える”という行為だ。
 だが、マスメディアによって電波に乗せられる映像は都合よく加工されていることが示唆される。それに対するカウンターとして期待されるインターネット・サイト/ブログで配信される個人発の映像、それもまた主観というフィルターを通されたものだと告げられる。「カメラを持って現場を体験する」ことも「その映像を観る」ことも、その人を当事者ではなく傍観者にするだけだと語られる。

 つまり、実際に襲われた者とゾンビ以外、誰ひとりとして「その渦中にいる人」にはなりえず、どこにも「あるがままの真実」はない、ということ。そんな中では確かにみんな肝心なモノゴトに対して“無知”な者になってしまうのかも知れない。ある意味「アンチ・メディア論」的な内容となっているわけだ。

 また「実はこの作品世界にもちゃんと映画『ゾンビ』は存在するのだが、誰も知らない(または観た人はとっくにゾンビ化している)」とか「映画『ゾンビ』が間違った捉えかたをされている」というロメロ自身の恐怖、はたまた「一人称視点なんて、リアリティ向上のためには何の意味もない、ということを立証するための一人称視点映画」なんて、うがった観かたをしたくなってくる。

 だったら、頭を撃ち抜かれたのにまだ襲ってくるゾンビなんかを登場させて「フィクションの中の常識なんて、まるでアテにならない」というメッセージも発したなら、さらに面白いものになったと思うのだが。

 ゾンビ映画やロード・ムービーとしての面白さには欠けるものの、秘められたテーマについて深読みしたくなる映画ではある。

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