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2010/04/14

グレイ・ガーデンズ 追憶の館

監督:マイケル・サシー
出演:ドリュー・バリモア/ジェシカ・ラング/ジーン・トリプルホーン/ケン・ハワード/ケネス・ウォルシュ/アリエ・グロス/ジャスティン・ルイス/ダニエル・ボールドウィン/マルコム・ゲッツ/オリヴィア・ウォルドリフ

30点満点中17点=監3/話2/出5/芸4/技3

【海辺の家、母と娘の生活】
 1930年代、歌手への夢を捨てて弁護士のフィーランと結婚したイーディス。やがて生まれた娘のイディもNYで歌手とダンサーになる夢を持つようになるが、フィーランは反対、イーディスも娘の社交界デビューと結婚を望んでいた。そして1973年、いまもイースト・ハンプトンの別荘「グレイ・ガーデンズ」でふたりきりの暮らしを続ける母子をドキュメンタリー映画のカメラが追い、この40年の間に何があったかが語られる。
(2009年 アメリカ)

【持たざる者たちの生】
 エミー賞で作品賞など6部門を受賞したTVムービー。中でも納得なのがジェシカ・ラングの主演女優賞と、彼女を鮮やか(?)に老婆へと変身させたスペシャル・メイキャップ部門賞だ。

 ジェシカ・ラングのスクリーン・デビュー作『キングコング』(1976年/ジョン・ギラーミン監督)って、最初に映画館で観た洋画だったはず。当時は20代半ばの色っぽいお姉さん。それが、いまや還暦。“変身後”のイーディスのほうが実年齢に近いんじゃないか。その割には、まだまだ色っぽいことに驚かされる。
 そんな彼女の芝居は、確かに賞にふさわしい素晴らしさ。何かわだかまりを抱えつつ奔放に生きる壮年期と、本当に朽ち折れそうな老年期、いずれにもリアリティと陰と味がある。

 母イーディスに付き合うイディ役ドリュー・バリモアの、若々しさから躁へのダイナミックな移行も見事。(役柄上の)年齢が上がるに連れ、いつの間にか立ち居振る舞いが母に似てきているところに、やはりリアリティと陰と味がある。
 ふたりとも目の芝居とあごの角度を大切にしている点も共通項だろう。

 母娘の演技を、カメラは余さず拾う。全体にタイトな絵、TVサイズであることは否めないが、破綻なく丁寧に撮られている印象だ。

 作りとしては、30年代以降の母娘の歴史と70年代(ドキュメンタリー映画撮影シーン)を交互に描き、最終的に一致するという構造がポイント。これにより主演ふたりの変身はますます強く印象づけられ、と同時に“時の流れ”と“その中にいる人”の関係を、観る者は意識せざるを得なくなる。

 母イーディスは、決して時の流れに抗おうとはしない。他人に本音や大切なことを話す機会もほとんどない。娘や自分自身の幸せを願っていることは確かだろうが、基本的には「何もしない」という生きかただ。
 娘のイディははるかに能動的だが、振り返ればやはり、肝心なことは何もしていない。自分の周囲にある時の流れから、踏み出すことはない。
 どちらも身勝手な人として目にうつり、そして身勝手な者の周りには身勝手な者だけが集まって、相互依存の関係を築き、ただ時に流されて生きるようになる。
 変身はしていても前進はしていない。

 たぶん母イーディスは気づいていたのだろう。自分にも娘にも前進するだけの才能がないことに。だから、いま与えられている環境の範囲内で精一杯に楽しもうとし、娘を積極的に後押しすることもない。ただ、そうした閉塞環境を完全に認めることにも怖さを感じ、心のどこかで「私には何かができる」と考えていたように思える。
 イディはどうだろう。「前進できるはず」と信じているようにも「前進するだけの力がないと気づくのを怖がっている」ようにも見える。
 そう考えれば、このふたりは身勝手ではなく、“持たざる者”であり、たがいに映し鏡のように感じて離れがたかったのではないか、と思える。

 ふたりとコントラストをなす存在としてジャクリーン・ケネディ・オナシスが置かれる。彼女は明らかに“持つ者”だが、イーディス&イディ母娘より幸せだったとは誰もいえない。さしずめジャクリーンは、前進を果たし、一瞬の輝きを手に入れ、“時の流れ”を飛び越えるのと引き換えに、生きた女性ではなく歴史になってしまった、というところだろうか。

 それに対し、イーディス&イディ母娘はいつまでも現在進行形だ。まさにイディが「過去と現在の線引きは難しい」と語る通り、まだ自分自身を「かつて夢見ていた女性」に貶めず、依然として「夢を追っている女性」に位置づけて、時の流れの中で生きている。まるで、そう信じることだけが彼女たちの存在意義であるように。
 何とも哀しい生きかた。とりわけイディの生きざまには、母に引きずられた感も強く漂う。

 が、ラストでイディ=ドリュー・バリモアは、わざわざ「撮影中に虐待された動物はいません」とナレーションを入れる。それは映画製作上の約束事であると同時に、イディの人生を肯定するための言葉だと感じられる。
 だって世の大多数は、動物のように、周囲の視線を気にしながら、ただ現在を生きる“持たざる者”であるのだから。

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