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2010/05/16

スリー・キングス

監督:デヴィッド・O・ラッセル
出演:ジョージ・クルーニー/マーク・ウォールバーグ/アイス・キューブ/スパイク・ジョーンズ/クリフ・カーティス/ノーラ・ダン/ジェイミー・ケネディ/サイード・タグマウイ/ミケルティ・ウィリアムソン/ホルト・マッキャラニー/ジュディ・グリア/クリストファー・ロア/ジョン・スクラロフ/リズ・スタウバー/マーシャ・ホラン/アリア・ショウカット

30点満点中18点=監4/話3/出3/芸4/技4

【財宝を求めて砂漠を往く】
 1991年3月、湾岸戦争終結直後。一等軍曹トロイが捕虜から奪い取った地図には、フセインの秘密シェルターの位置が記されていた。そこにはクウェートから略奪された金塊が隠されているはず。ゲイツ少佐は、トロイとチーフ、コンラッドを率い、隊から離れて地下壕を目指す。が、壕を守るイラク軍兵士、彼らに囚われている反乱軍とその家族、TVレポーター、ゲイツの動向に気づいた大佐らを巻き込み、事態は予想外の展開へ突入する。
(1999年 アメリカ/オーストラリア)

【必要なのは、必要性】
 描きかたは、スマート。ハイキーで粒子の粗い絵がテンポよく続き、先の読めない展開が積み重ねられ、派手なアクションや爆発も織り交ぜられ、ときにユーモアまで感じさせる。
 砂漠の中の小さな街や塹壕などを再現した美術の仕事もいい。

 ただし、娯楽作のような顔は、まさに顔だけ。いきなり冒頭から「そうじゃないよ」と宣言する。実は“戦争のリアル”や“戦争の中のリアル”を炙り出していくような映画となっている。

 この湾岸戦争ひとつとっても、僕らは“戦争のリアル”について、あまりに無知である。
 もちろんキーボードをちょっと叩くだけで、湾岸戦争の原因や経過・結果を知ることはできる。崩れた街並、空爆の様子、傷ついた市民といった様子は何度も報道されている。
 だが「戦場のミクロの部分で、国としての思惑が、市民レベル・一兵卒レベルにどんな影響を与え、どのような衝突が続いているか」という視点でのリアルを理解することも重要だろう(もちろん本作の内容・描写すべてが事実・真実ではないだろうけれど)。

 湾岸戦争は、単にアメリカ軍vsイラク軍という図式の国家間戦争ではなかった事実が描かれる。いうなれば、人vs人。何かを望む人がいて、それぞれの利益が反するとき(いや、たとえ一致していたとしても置かれている状況の違いから)、戦いは生まれるのだ。
 いい換えれば、欲望vs欲望。ただし本作は、欲望=悪だと簡単に片付けているわけじゃない。たとえば欲望の1つとして描かれるのは「ただ平穏な生活」。それは否定されるべきものではないはずだが、欲望は、ますます事態を(戦争のマクロなレベルでも兵士個人のパーソナルなレベルでも)悪化させていくものでもある。

 恐らく、この事件に関わった人たちが共通して抱いた思いは「こんなはずじゃなかったのに」というものだろう。平穏無事を願い、子どもの頃から教わってきた価値観や倫理観にしたがって行動し、ほんのちょっとだけエゴイズムを発揮した結果、戦いたくない相手、戦わなくてもいい相手と銃を向け合うことになったのだから。
 ゲイツらとイラク軍が撃ち合う場面、どこかTVゲーム的なイメージで撮られている点にも「こんなの現実じゃないよな」という彼らのつぶやきを感じ取ることができる。

 一応は、救いも用意されている。ゲイツのいう“必要性”だ。ケースに応じて正しい“必要性”を認識し、行動することができれば、誰も傷つかないですむはず。
 もっとも、石油の安定供給、他国や権力者からの不干渉、そしてカネといった「平穏な生活を実現するために掲げられた“必要性”」が、争いを呼んだというのも事実なのだけれど。

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