のだめカンタービレ 最終楽章 後編
監督:武内英樹/川村泰祐
出演:上野樹里/玉木宏/瑛太/水川あさみ/小出恵介/ウエンツ瑛士/ベッキー/山田優/なだぎ武/福士誠治/吉瀬美智子/伊武雅刀/西村雅彦/豊原功補/宮崎美子/岩松了/遠藤雄弥/三浦涼介/猫背椿/竹中直人/マヌエル・ドンセル/マイク・ジーバク/マンフレット・ウダーツ/エグランティーヌ・ランボヴィル/ルカ・プラトン/蒼井優(声の出演)
30点満点中16点=監3/話3/出4/芸4/技2
【俺様指揮者と変態ピアニスト、歩みの先に待つのは?】
指揮の仕事に打ち込むため、のだめ(野田恵)と離れて暮らすことを決意した千秋真一。いっぽう、あるコンテストでラヴェルのピアノ協奏曲を耳にしたのだめは、早くプロになり、その曲を千秋の指揮で演奏したいと想うようになる。だが学院のオクレール先生はのだめがコンテストに出場することを許さず、しかも千秋は孫Ruiとラヴェルで協演。落ち込むのだめに、ピアノと真剣に向き合うことの楽しさを教えようとする千秋だったが……。
(2010年 日本)
【合格点と不合格点】
千秋真一は、いわば音楽に取り憑かれた男。ゆえに音楽の女神から愛されるのだめに魅了され、音楽と愛とをイコールで結び、彼女を自分と同じステージへ引き上げようとして(あるいは自分自身が彼女と同じステージへ上がろうとして)、自信と困惑の間で揺れる。
のだめは、まだ愛も音楽も理解していない女。その立ち位置を自分でも不甲斐なく感じており、けれど2つをどう結びつければいいのかわからず、ただ焦り続けることしかできない。
そんなふたりをどこにどう“着地”させるのか、というのが『のだめカンタービレ』を観る者にとっての最大の興味。残念ながら原作はその責任を放棄し、いきなり“不時着”させてしまったわけだけれど、映画は、拙いながらも責任をまっとうしたといえるだろう。
どこにゴールがあるのかはわからない。いや、1つのゴールを迎えても、また次のスタートが待っているはず。新たな困惑や焦りも生まれることだろう。でも、それを覚悟したうえで、ふたりで走っていこう。
その着地点は(原作つきという呪縛があることを考えれば)、これ以上ないものだと思う。また、まず着地点を設定し、そこへ向かってふたりの心情や行動をわかりやすく、丁寧かつニギヤカかつふたりの歴史を振り返りながら展開させていった“まとめの上手さ”も評価したい。
まぁオフザケとシリアスのバランスが前編より悪かったり、無理やり過去キャラを引っ張り出してきたりといった安っぽさはあるけれど「音楽ギャグマンガ『のだめカンタービレ』を、TVシリーズ~TVスペシャル~映画という流れで、映像化作品としてちゃんと1つの形に仕上げる」という1つのプロジェクトの1つのケリのつけかたとしては、合格点だ。
ただ、1本の映画としては前編と同様、劇場にかけるだけのクオリティにちょっと足りない(まぁそれを期待して観に行くような作品ではないんだけれど)デキ、つまりは不合格。
相変わらず1から100まですべてセリフとナレーションで説明。せっかくラン・ランというビッグネームや(『もじゃもじゃ組曲』まで弾かせるとは)本物の楽団を起用し、各地の素晴らしいホールで撮影しておきながら、のだめや孫の演奏が放つ凄さをわからせる手段としてナレーションに頼る。幼稚なやり口。
音関係も、千秋やのだめの周囲の音を拾って空間を感じさせる丁寧さはあるものの、それをシーンの切れ目でブツっと断つ粗さ。コンサートシーンの鮮度やレンジ感も前編より落ちた感じだ。
そして、陰影と立体感に乏しい映像。とりわけ気になったのは空気感で、前編でもそうだったけれど、なんでこう“ヨーロッパの空気”をちゃんと撮れないのか。
たとえばラストシーン、パリの空ってあんなに煤けていないよ。千秋がプラティニ・コンクールで振り、今回はのだめのデビューの場となったプラハの市民会館スメタナホールも、もっと静謐、暗いオレンジとブルーが混じって沈んでいくようなエネルギーのある場だ(自慢じゃないけど、ここでコンサートを聴いているのだ。あと、パリで千秋がのだめに連絡しようか迷っている場面、背景にうつっていたのは『プラダを着た悪魔』でも触れたホテル・ドゥ・ルーブル。いや、自慢じゃないけど)。
ひっくるめれば、『のだめカンタービレ』としては合格、映画としては不合格。ま、たぶんこの手の作品(プロジェクト)だとそうなってしまうのは仕方ないか。
とはいえ、原作ファン→ドラマ化されると知って不安→これはこれでアリかもとひと安心→原作の着地点に不満、というルートをたどってきた身としては、正しいベクトルで果たすべき責任をちゃんと責任をまっとうしたこの作品は、甘く見てあげたくなる「最終楽章」である。
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