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2010/05/20

あの日の指輪を待つきみへ

監督:リチャード・アッテンボロー
出演:シャーリー・マクレーン/クリストファー・プラマー/ネーヴ・キャンベル/アラン・ハウコ/ピート・ポスルスウェイト/マーティン・マッキャン/ディラン・ロバーツ/ブレンダ・フリッカー/イアン・マケルヒンリー/ミーシャ・バートン/スティーヴン・アメル/グレゴリー・スミス/デヴィッド・アルペイ/ジョン・トラヴァース/カースティ・スチュワート

30点満点中18点=監3/話4/出4/芸4/技3

【ただ約束を守るために】
 1991年のミシガン州ブラナガン。夫チャックの葬式だというのに、エセル・アンは涙すら流さず無関心、ただ酒をあおるのみだ。娘マリーは呆れるが、チャックの旧友ジャックだけは何かを知っているようだった。そこへ北アイルランドのベルファストに住む青年ジミーから1本の電話が入る。彼は町の変わり者クィンランと丘を掘り、エセル・アンが所有するはずのあるものを見つけたというのだ。50年に渡る“約束”の物語が始まる。
(2007年 イギリス/カナダ/アメリカ)

★ややネタバレを含みます★

【50年の想い】
 うちの高校には「婚約者を戦争で亡くし、以来独身を貫いている」という女性の体育教官がいた。かなり厳しくて女子生徒からは疎まれていたが、尊敬を集めてもいた。
 たぶん、逝った者を愛し続ける人は世界中どこにでも存在し、それは戦争が原因という物語もありふれたものだと思う。

 この映画も序盤、ありふれた外観を見せる。死者を愛し続ける女性という設定にも、娘や旧友が絡んで秘められた過去が明らかとなる構成にも、それほどの驚きはない。
 流麗な音楽を乗っけて大きくカメラを動かし、登場人物の表情・演技を大切にしながらドラマチックに撮る手法も、オーソドックスなものだ。
 だが中盤以降の展開、そして終盤のクィンランの告白によって、多くの人たちが50年もの長きに渡り胸に抱え続けてきた重い約束と決意とがあふれ出し、涙を誘う

 エセル・アンを演じたシャーリー・マクレーンの、静かに想い出を噛み締める姿がいい。彼女はテディ以外の誰をも“愛さなかった”のではなく、自ら律して“愛することを許さなかった”のだ。
 心の奥底では芽生えていたはずの夫への愛を「恩」という言葉に、あるいはジャックへの愛を「理解」という言葉に置き換えて、約束に従順な女性であろうとし、その苦しみが彼女から涙を奪ったのだろう。
 彼女が語る「自分の住む家は夫に作らせるな」「約束は常につきまとう。たとえ破ったとしても」という言葉の重みが痛い。

 彼女の想いに、彼女が望む通りの「理解」で応えようとしたジャック=クリストファー・プラマーも素晴らしい。エセル・アンが「電話に出たがらない」ことを誰よりも痛切に理解し、その原因となった自らを苛みながらプレイボーイを演じ続け、そして「それだけは聞くな」と泣く彼もまた、長い時間、己を殺してきたのだ。
 誰かを助けたい。そう考えて消防士となり、けれどひとりの兵士の想いを助けられなかったクィンラン役ピート・ポスルスウェイト。彼がどれほどの悔恨と恐怖を抱えながら50年を生き、ある“発見”に心を騒がされたかと思うと、胸が詰まる。

 マーティン・マッキャンが演じるジミー、その無知と無神経さ、すなわちノーブルな魂が、50年の想いを結果的に救うことになるのが、観る者にとっても救いである。

 やはりこれは、ありふれた物語。つまり、数十年分の苦しみを抱えながら生き続ける人が、世界中に存在するということ。
 彼らを救うこと、彼らのような人をもう生み出さないことが、無知で無神経な僕らの世代にできることなのかも知れない。

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