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2010/05/04

第9地区

監督:ニール・ブロンカンプ
出演:シャールト・コプリー/ジェイソン・コープ/デヴィッド・ジェームズ/ジョン・サムナー/ヴァネッサ・ハイウッド/マンドラ・ガドゥカ/ケネス・ンコシ/マリアン・フーマン/ヨハン・ヴァン・スクーア/ナタリー・ボルト/シルヴァン・ストライク/ウィリアム・アレン・ヤング/ニック・ブレイク/ユージーン・クンバニワ

30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4

【難民エイリアン移送計画の顛末】
 1982年、ヨハネスブルグ上空に巨大宇宙船が飛来、乗っていたエイリアンたちは宇宙船の真下で難民として暮らし始める。以来20年、“エビ”と呼ばれるようになったエイリアンは180万に数を増やし、付近住民とのトラブルも多発、世界的複合企業MNUによって難民キャンプの移設が進められることに。計画の責任者ヴィカスは密着カメラとともにエイリアンの住む“第9地区”へと乗り込むが、アクシデントが彼らを襲うのだった。
(2009年 アメリカ/ニュージーランド)

★ややネタバレを含みます★

【リアルとフェイクの渾然一体】
 いわゆるフェイク・ドキュメンタリーとして作品はスタートする。映像は主人公に密着する取材カメラが撮影したものという体裁で、科学者や関係者へのインタビュー、ニュース・アーカイブや監視カメラによる記録なども挿入される。

 ここで上手いなぁと感じるのは、舞台を南アフリカに設定したこと(監督の出身地)。世界最凶の町とされるヨハネスブルグ、登場人物が喋るのはナマリたっぷりの言葉(なにしろ英語のセリフに英語の字幕がつく)。ふだんこの国この町に関して入ってくる情報といえば人種差別と犯罪と貧困のことばかりである。
 これがニューヨークやロンドンだったら「ハナっからウソ」となるところだが、われわれにとって(たぶん全世界の人にとっても)未知かつアンタッチャブルといえるこの地域でなら「なんかスゴイことが起こっていても不思議じゃない」という気にさせられてしまう。

 もちろんキャストにはビッグネームを起用せず、「大資本による作り物」という雰囲気を排除。ちぎれた腕を拾う担当者、その事務的な様子をサラリとうつすあたりが、なかなかにリアルだ。
 スラムとしてのキャンプの再現、まさしくエビっぽいエイリアンの造形など美術関係の仕事も上質。そのエイリアンを動かしたり、霞む巨大宇宙船が宙に浮かんでいたりといったCGのクオリティも高い。アフリカらしいリズムをベースにスリルを盛り立てる音楽もいい。

 おそらく、カオス感タップリ+リアリティも強く漂うものとして作り上げられたこの“第9地区”は、南アフリカ/ヨハネスブルグの現状そのものなのだろう。
 エイリアンはいないとしても、それに類する「周辺からの流入民、アパルトヘイト撤廃にともなって都市部へやって来た貧困層、すなわちトラブルの種たち」が、こうしてスラムに暮らし、社会的問題となっているのだ。
 SFのカタチは取っているものの、健全な大都市とはいえないヨハネスブルグの姿を描き出そうとした意図が見える。これは起こりうることであり、あるいは、いま起こっていることでもあるはずだ。

 やがて作品はフェイク・ドキュメンタリーから少し離れ、エイリアン側からの視点(つまり取材映像では撮れない描写)も盛り込むなどストレートな娯楽映画としての色が濃くなっていく。ここからはもうSFアクション&サスペンス、あるいはバディ・ムービーのノリだ。
 シビレたのは、パワードスーツがマシンガンの弾を“処理”しちゃうところ。このテクノロジーのアイディア1つで、SFアクションとしてのグレードがグっと高まる。
 さらには板野サーカスで飛ぶミサイル! 「エイリアンの遺伝情報がないと起動できない武器」なんていう設定は日本人好みだし、手塚治虫の『メタモルフォーゼ』や皆川亮二の『ARMS』を思わせる要素もある。予測のつかないストーリー展開にもどこか非ハリウッド的な雰囲気が漂っていて、日本アニメ/コミックの遺伝子が生きているよなぁ、と感じさせる映画だといえるだろう。

 とはいえ、もっとも印象に残ったのは、およそ理解しあえるとは思えないエイリアンに人権を認めているという欺瞞。新しいキャンプへ移住させるため本人たちに了承のサインを貰いに行くって……。エイリアンはその書類を突っ撥ねるわけだけれど「指の跡が残っている。サインとして通用するだろう」というヴィカスの態度がシニカルで笑える。

 いや、ホントは笑っちゃいけないところ。
 そもそもエイリアンを受け入れたことは、人類が自らを人類として成立させるために必要だと考えている「相手を尊ぶ心」のあらわれ。けれどそこには無理があって、というより「なんでこういうヤツらを」という思いが根強くあって、結局は融和などできない。なので、ひとまず法的な手続きというエクスキューズを用意しておき、それを現場はフレキシブルに運用することによって、形だけは「相手を尊ぶ心」を維持しようとする。そんな欺瞞。
 アパルトヘイトをはじめ、各国各地の民族紛争や人種差別を巡る立法・行政のシーンにおいて、同様のことがおこなわれているであろうと容易に想像がつく。

 あくまでフェイク・ドキュメンタリーとして押し通すほうが映画としては誠実だったろう。また、正直オスカー候補とするには作りの弱さがあるとは思う。けれどリアルとフェイクと変化球とストレートとを混ぜ込むことで、メッセージ性とエンターテインメント性を上手に融合させたことは確かであり、それこそ本作が高評価を得た最大の理由だろう。

 思えば『アバター』『ハート・ロッカー』も、リアルとフェイク、メッセージ性とエンターテインメント性の両立について考えさせる作品たちだった。2009年のオスカー・ノミニーって、そういう傾向があったんだなぁとあらためて思ったりする次第である。

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