ザ・ウォーカー
監督:アレン・ヒューズ/アルバート・ヒューズ
出演:デンゼル・ワシントン/ゲイリー・オールドマン/ミラ・クニス/レイ・スティーヴンソン/ジェニファー・ビールス/エヴァン・ジョーンズ/ジョー・ピングー/フランシス・デ・ラ・トゥーア/マイケル・ガンボン/トム・ウェイツ/クリス・ブラウニング/リチャード・セトロン/ラティーフ・クラウダー/ローラ・カニンガム/スコット・モーガン/アーロン・シヴァー/マルコム・マクダウェル
30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4
【たった1冊の本を西へと運ぶ男】
核戦争から30年。“ウォーカー”と呼ばれる男イーライは、荒廃し、文明の失われた北米大陸をひたすら西へ、1冊の本を運ぶ旅を続けていた。彼が立ち寄ったのは、水の在り処かを知るカーネギーが牛耳る町。カーネギーはまた、戦後の焚書によって世の中から消えたある書物を、それがあれば世界を統べられると考えて探し続けていた。イーライの持つ本が「それ」だと知ったカーネギーは、力ずくで奪い取ろうとするのだが……。
(2010年 アメリカ)
★ややネタバレを含みます★
【人の歩みを描く】
アメリカは東西約4000km。30年かけて歩いてきたってことは、1日に400mも進んでいない……。ま、食糧や水の確保などサバイバルな道行きだとそう快調に旅はできないだろうし、無粋な計算はやめておこう。
ともかく、有無をいわさず荒廃の世へ連れて行ってくれる。
セピアとグレイの画面は、思ったより奇異ではない。むしろホコリと紫外線と退廃に満ちた時代を表現する手段として効いている。
朽ちたクルマや高速道路、荒野にドカンと穿たれた核の爆発痕、西部劇に倣って作られたのであろう「メインストリートを挟んで商店が立ち並ぶ町」など、美術面の仕事も上々。大部分がマット絵やCGとの合成だろうが、特徴ある色調のおかげで実写とCGとの馴染みかたもいい。
強い日差しの中を歩く、クタクタのコートを羽織ったイーライの姿は美しく、その武器であるナイフ(南米の山刀マチェーテがモチーフ)はカッコよく、気忙しい音楽が彼を西へと押す。砂粒や水の雫まで、細かく音を拾い上げるサウンドメイクも面白い。
撮影は『ホワット・ライズ・ビニース』や『魔法にかけられて』のドン・バージェス。プロダクション・デザインは『ボビーZ』や『グッドナイト&グッドラック』などに携わったゲイ・S・バックリーで、アート・ディレクターは『ラストサムライ』や『ターミナル』のクリストファー・ブリアン=モーア。衣装デザインは『ドリームガールズ』や『Ray/レイ』、『幸せのちから』のシャレン・デイヴィス。音楽はアティカス・ロス、音楽監修は『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』や『レーシング・ストライプス』などのデヴァ・アンダーソン。サウンドミキサーは『ワールド・トレード・センター』や『スケルトン・キー』などのナーセズ・ギザリアン、サウンドデザイナーは『ダイ・ハード4.0』などのジェイソン・W・ジェニングス。VFX監修は『ウォンテッド』や『ブルークラッシュ』のジョン・ファーハット、SFX監修は『ジャンパー』や『ダーウィン・アワード』のイヴ・デ・ボーノ。
これらの総合力で、1つの終末世界を作り上げていく。
カットすべてをスタイリッシュに撮ってあって、そんな見た目のインパクトに隠れがちだが、語り口のリズムも良好。お気に入りなのは、イーライとソラーラが水の在り処に侵入するシーン。見張り番がいつの間にか縛られドアの前でもがいている。その“スっ飛ばし”のリズムがいい。
登場人物たちが揃って装着しているサングラスは、説明されるまでもなく「戦争の影響で紫外線量が増えたんだな」と感じさせるし、人肉を食べ過ぎると手が震えるという設定もユニーク。そういう裏設定の盛り込みかたに心をくすぐられる。
カーネギーの右腕であるレッドリッジが吹く口笛はエンニオ・モリコーネの『Once Upon A Time In America』で、対決を予感させる。またイーライが聴いている音楽は、牧師としても活動するアル・グリーンの曲らしい。これらもまた“盛り込み”だ。
そして何といっても、1カットで展開する2つのアクション、そのスピード感と迫力が凄まじい。
1つ目のvs強盗団は『座頭市』を参考に撮られたものらしく、とんでもない武器を相手に逆光の中で立ち回るイーライが実にクール。『ボーン・アルティメイタム』でもファイト・スタントを担当したジェフ・イマダの格闘デザインがいい。
室内での格闘や西部劇そのまんまの銃撃戦を挟んで、2つ目の篭城戦もダイナミックなカメラワークの1カットで見せ切る。映画の醍醐味を感じるシーンだ。
ただしイーライの動作は必ずしも常にスマートではない、ということも大きなポイント。アクションにしても普段の動作にしても、時おり「ちょっとやり直す」的な動きを見せる。パンフレットによれば「もともと訓練されていた人物ではなく、サバイバル生活の中で身につけた動きのイメージで」というデンゼル・ワシントンのアイディアらしいが、これがリアリティの向上に寄与していると感じる。
そのデンゼル・ワシントン。いつもはどんな役をやってもどこかに皮肉屋めいた部分が顔をのぞかせるのだが、今回は意外と真面目、寡黙にライフワークへと立ち向かうイーライを男臭く演じ切る。
ゲイリー・オールドマンはやっぱり悪役がお似合いなんだが、ソラーラが食卓でお祈りを始めた際、背中だけで「ああ、こいつも根っからの悪人ではないんだ」という空気を漂わせて上質。
ミラ・クニスも、色っぽい割に不思議な幼さと処女性を感じさせて適役といえるだろう。
トータルに観て、なかなかに優れたアクション・サバイバル・エンターテインメントである。
さて、ここからはちょっと本格的なネタバレ。
とはいっても、イーライが運ぶ1冊の本が何なのかは、もう誰もが想像する通りのもの。ただ「そのせいで世界は滅んだ」「だから焚書によって燃やし尽くされた」「けれど世界をふたたび統べるものでもあり、最高の兵器でもある」「おかげでまたも争奪戦の殺し合いが始まる」という設定は、「歴史上もっとも多くの人間を殺したのは○○○○○である」を1つの鑑賞テーマとして掲げる当ブログにとっては、実に嬉しい内容だ。
また、作中でたびたび“逆転・ねじれ”のようなものを感じた。
イーライが語るように、この時代は「昔は捨てていたものを奪い合っている」わけだし、現代ならタダ同然で手に入る水が何よりも貴重なものとなっている。近代的なものがほとんど失われた世界のバックグラウンドに流れるのはシンセサイザーによる音楽だ。
安全に夜を過ごす場所となった原子炉。親しげな老夫婦という危険。屈強な若者たちを屈服させる初老の男。無慈悲なマリアたるクローディア。
そもそも「大義のために罪を重ねる」というイーライの存在じたい、すでに“ねじれ”だ。その倫理観は、本作の中だけでなく現実の現代、すなわち終末世界を覆うものでもある。いや、長きに渡って人類を支配してきた都合のいい価値観といえるだろう。
けれど大いなる力は、その“ねじれ”を赦し、あまつさえ不死も与えてしまうのだ。
ねじれた男を、真っ直ぐに伸びる道が約束の地へと誘(いざな)うこの作品は、ねじれを抱えつつも信仰に導かれて生き、信念によってねじれを是正しようと苦しみ、いや信念があるからこそねじれが生まれて、その歩みの過程では、ねじれゆえの破壊を繰り返す、そんな人という種そのものを描いた映画なのだろう。
ラスト、イーライは聖人のように仰臥し、ソラーラは胎児のように丸まって眠り、そして遺志は受け継がれる。新しい時代の到来ではあるが、その先に待っているのは、永遠の“ねじれ”かも知れないわけだ。
カッコよさにも、語るべきネタにもあふれ、オマケにもういちど観たくなる工夫も味わえる。そんな1本である。
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