レッド・ダスト
監督:トム・フーパー
出演:ヒラリー・スワンク/キウェテル・イジョフォー/ジェイミー・バートレット/イアン・ロバーツ/マリウス・ウェイヤーズ/マウォンゴ・ティヤワ/ノムレ・ンコニエニ/ホロムカ・ダンダラ/ジェームズ・ンゴコボ/ロイーソ・グシャワラ/レスリー・モンゲジ/グレッグ・ラッター
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技4
【真実の究明のために】
南アフリカでスタートした「真実和解委員会」。その公聴会で元警官のヘンドリックスは、アフリカ民族会議(ANC)の活動家だったンポンドへの拷問について語り始める。弁護士のサラ・バーカントは、ンポンドと同時に逮捕され行方不明となっているシザラについてもヘンドリックスから証言を引き出そうとするが、ヘンドリックスの言葉にも、いまは政治家となっているンポンドの態度にも“引っかかり”を感じるのだった。
(2004年 イギリス/南アフリカ)
【事実ではなく、大切なのは真実】
1940年代に南アフリカでスタートしたアパルトヘイトは、1991年にようやく撤廃、1994年には史上初の全人種参加選挙が実施され、反アパルトヘイト運動を進めていたANC議長ネルソン・マンデラが大統領に就任する。
民族の和解と協調を掲げるマンデラ大統領は「アパルトヘイト時代の黒人に対する人権侵害などを調査、真相を究明する。罪をすべて告解すれば恩赦を受けられる」という真実和解委員会を発足させた。委員長は、白人からも黒人からも信頼の厚かった英国国教会のデズモンド・ムピロ・ツツ大主教。委員会が最終的にまとめた報告書は、全5巻・3500ページにもおよんだという。
この真実和解委員会の1公聴会を描いたのが本作。いわばアパルトヘイトがもたらしたものの「数千分の一」の物語である。
監督はTVで活躍してきた人物(この作品の後、2006年にはエミー賞を受賞)で、手堅い演出。ロケーション、音の拾いかた、土地の映しかた、人物の表情など“その場感”を重視しつつ、アフリカンなサントラとともに必要なことをきっちり画面の中へ収めていく。
同時通訳用のヘッドフォンで示される「異なる者たちが集う土地」という事実、憎い白人が住む家の屋根を修理する黒人の姿で表される経済と心理の複雑なバランス。
登場人物たちが抱く不安や悔恨を表現すべく、彼らはたびたび画面の端に置かれる。ンポンドは自らを罰しようとでもいうのか、トラウマであるはずの水へと飛び込む。
公聴会の場面を中心とする法廷ものではあるが、密度が高く、またフラッシュバックを挿入してリズムとミステリー風味を生み出しており、なかなかに「見せる」仕上がりだ。
バーカント役のヒラリー・スワンクやンポンド役キウェテル・イジョフォーの上手さは、いわずもがな。ジェイミー・バートレットが抑えた芝居で演じるヘンドリックス、ノムレ・ンコニエニによるミセス・シザラも素晴らしく、役者の力を感じられる作品でもある。
さて、公聴会を通じて「何があったのか」という“事実”が明らかとなるわけだが、むしろ読み取らなければならないのは、まさにこの委員会が名前として戴いている通り、“真実”だろう。
本当の意味での真実とは、「恐怖が見えるものを歪ませる」ということ、それが人に過ちを犯させるということ、過ちを犯した者にも犠牲となった者にも心に傷が残るということ。
そして、その傷を克服するためには赦しと大きな代償とが必要であるということ。
もちろん、たやすく赦せるものではない。いま持っているものを手放すことだって避けたい。赦しも代償も多分に宗教的な価値観に根ざす考えかたであり、理想主義的であるともいえるだろう。そもそも恐怖に打ち克つ強さを持ち合わせていなかったのが悪いのだ。
けれどやっぱり不幸な事実はあり、ならば、進むべき道は他にないのだと思う。真実を見極め、悔い、自らの弱さを認め、他人の弱さを認め、種としての人の弱さを認め、人としての罪を背負い、自分も含めた人の不完全さを赦し、かといって赦しに甘えることなく、二度と過ちを繰り返すまいと決死の覚悟で行動すること以外に、人が前進する術はないのだと思う。
それは可能だと思いたいものだ。
アマンドラ。力と、自由と、希望を我らに。
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コメント
南ア警察から送られた小包爆弾で母を失った娘ジリアン・スローヴォーが、自ら真実和解委員会に出席した経験から作られた作品と聞き、そのテーマの深さに感動しました。
また、実際の真実和解委員会の映像もネット上で閲覧できることを知り驚いています。
犠牲者の怨恨との闘いと、許しのための努力は今も続いているのだと感じました。
素敵な作品との出会いに感謝です。
投稿: ETCマンツーマン英会話 | 2014/04/08 01:44